見て 聞いて 触れて学ぶ地下鉄今昔物語
普段なにげなく乗っている地下鉄も、ちょっと俯瞰(ふかん)して見ると、ただ人を運ぶためだけのものではないことに気づく。命はもとより、人の暮らしを運び、楽しみ、時には悲しみや苦しみさえも運んできた。
visiting old, learn new
普段なにげなく乗っている地下鉄も、ちょっと俯瞰(ふかん)して見ると、ただ人を運ぶためだけのものではないことに気づく。命はもとより、人の暮らしを運び、楽しみ、時には悲しみや苦しみさえも運んできた。
子供は、遊びから学ぶ。今も昔も同じだ。しかし、かつての遊びの中から学ぶものは、今より大きかった気がする。
石川ひとみの「まちぶせ」が店内に流れている。懐かしい曲だ。視線の先には、ヨーグルやよっちゃんイカ、ミルメークなど懐かしい駄菓子が店頭に並ぶ。
一昔前、台所の流し台の片隅には必ず亀の子束子があった。大きな屋敷でも、小さなアパートでも、学校の廊下にあった長い手洗い場にも。全ての洗い場に、置いてあるかぶら下げられていた。
今の人は、生きた魚に触れる機会などあるのだろうか? スーパーマーケットに行けば、ほぼすべての魚が、すぐに調理できる形で売られている。中には、調味料までまぶされ、自分の好みに味付けをするなどという当たり前のことすらせずに、食卓に並べられていくものもある。
「最初にある場所でミニチュアハウスを見た瞬間に、グッときてしまいました。土の温もりを、店の風景からすごく感じられたのです」
「おっ、写真撮るの? だったら帽子かぶらなきゃ」。そう言って、マニアなら垂涎(すいぜん)であろう帽子を頭にポンと乗せる。東急電鉄がかつて使用していたモノだ。そして間髪を入れることなく、「玉電と郷土の歴史館」館長・大塚勝利さんのマシンガントークがさく裂した。