新宿駅を学ぶフィールドワーク バックヤードへも

 次に訪れたのは小田急線の新宿駅だ。小田急電鉄は、小田原急行鉄道として23(大正12)年に創業した。大きな目的の一つは、都心と観光地である箱根を繋げ、行楽客を送り込むことだった。創業から4年後、27(昭和2)年に小田原線(新宿―小田原)、同4年には、江ノ島線(大野―片瀬江ノ島)を開業させた。 

 続いて駅のバックヤードへ。廊下は細く人がすれ違うのもやっとという感じだ。そして、随所に現れる長短の階段は昔仕様の急勾配だ。各階段の途中には事務所や会議室、喫煙所などがあり、さながらアリの巣をほうふつとさせる構造となっている。実際に歩いてみると、思ったよりも窮屈な感じがした。このように巨大ターミナル・新宿駅には、各社のバックヤードが存在している。

小田急1、2番線ホームは直線が短く線路が微妙に曲がっているのが面白い

 当時は、日本全国で鉄道の開設が相次いでいた時代だった。東急各線、西武新宿線も同時期に開業している。やがて東京の西側のエリアは、都会に住む人の移住の場所として発展していく。小田急もその影響を受け、沿線の農村地帯が住宅地帯に変わるにつれて、乗降者数を伸ばしていった。箱根への観光にも力を入れ、48(同23)年、新宿―小田原間をノンストップで走る週末特急を運行させ、現在のロマンスカーの前身となった。当時は90分ほどかかっていて(それでも早かったが)、現在は1時間弱で小田原に到着するようになった。

 停車中の電車のドアが全開になることで、向こ
う側まで見渡せるのも終着駅ならではで面白い

 新宿駅を「始発」とするのは、ロマンスカーのみである。「係員は111人が所属、宿泊勤務33人、日勤で9人が勤務している。皆さんに人気のロマンスカーもここが始発駅です」。副駅長の村林隆志さんが笑顔を見せた。

 小田急にとって新宿とはなんだったのかという質問に、同行していた小田急電鉄広報・環境部の鈴木彰さんは、自信をもってこう答えた。「当社の起点であって、メインとなる駅であることは間違いありません。『核になる駅』と言ってもいい。礎の地であり出生の地と考えていただいていただければと思います」 

小田急新宿駅の副駅長の村林さん。今回の案内役を務めてくれた

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする