寝台列車 パンチの音 熱地獄の夏…蘇る昭和の記憶

 電車は、我々にとって大切なインフラである。なくなってしまったら、誰も生活が立ち行かなくなるだろう。通勤通学はもとより、遊びにも行けないのだ。しかし、50年前のちょうど今の季節、「春闘」と呼ばれていた団体交渉が各会社で行われ、交渉が決裂するとストライキや順法闘争と呼ばれる「のろのろ運転」が行われたのも、懐かしい思い出だ。

 「何日から◯日間、国鉄はストライキに入ります」などと、毎年のようにテレビでも大々的にアナウンスされていた気がする。特に75(昭和50)年11月26日から12月3日にかけて敢行された国鉄の「ストライキ権奪還ストライキ(スト権奪還スト)」は、日本中を混乱の渦に巻き込む大規模なものだった。そのストも最近はほとんど姿を消しているのが現状で、働く人たちの権利などが整備された証拠だろう。

駅での待ち合わせに欠かせなかった伝言板。今でいう携帯電話の役割を果たしていた。昭和の時代、JR新宿駅東口の伝言板には大人気マンガ「シティハンター」よろしく「XYZ」と書く人も多かったという

 日本に鉄道が開通してから150年が経った。懐かしいものが消え、寂しい部分もあるが、安全かつ快適に進化し続けている鉄道は、我々の生活になくてはならない存在であることは間違いない。

 今日のような鉄道網が整備されたのは、戦後の高度経済成長の重要なひとつの側面であり、我々の先人たちの努力の賜物であることに対して、改めて感謝の意を表したい。

文・今村博幸