寝台列車 パンチの音 熱地獄の夏…蘇る昭和の記憶

 長中距離列車の場合には、必ず検札はあったが、ローカル列車でも、時々車掌が小さな革のバッグを下げて車内を行き来していた。切符を調べるというよりも、乗り越し精算などのためだったと記憶している。声をかけると、電車の揺れに合わせて上手にバランスをとり、ペラペラの車内精算切符(補充券)を取り出して、乗車した駅と目的地に穴を開けて渡してくれた。朝晩のラッシュ時に回ってきたかどうか定かではないが、昼間の空いている時には、必ず彼らの姿を目撃した。普段乗らない電車に乗った時には、自分の行きたい駅に停車するかどうかなどを質問できて、安心感があったのを覚えている。

 季節によって車内の温度も気になるところだった。冬は座席に座ると足元から噴き出す熱風で、やけどするのではないかと思われる時もあった。しかも、混んでいるときは、おしくらまんじゅう状態で、汗ばむほどだった。今は上手に調節されているせいか、そこまで暑くなることは滅多にない。

 夏はもっとキツかった。何しろ冷房がない電車がほとんどだったからだ。360度回る扇風機のみで、窓を開けても熱風が入ってくるだけと言う有様だった。あの独特の扇風機自体には懐かしさを覚えるが、涼しかった思い出はほとんどない。それでも、多くの乗客は文句一つ言わなかった。日本人が我慢強かったのか、もしかすると昭和は今ほど暑くなかったのかもしれない。しかし、冷房がない車内は「今となっては考えられない暑さ」だったはずである。ただ、360度回る扇風機はよくできていると思う。令和の現在、関東近県ではほとんど見ることもなくなった。360度回る扇風機。暑さを凌ぐための大切な設備だった