子供は風の子 「昭和の原風景」記録の終わらぬ旅

 次第に農村自体が変わっていった。機械化が始まり、農業を営む人が少なくなり、子供たちも農業を手伝う機会が減り、家にいることが多くなった。

 昔ながらのそんな光景が日本で見られなくなっていき、岡本さんはアジアを目指した。すると、日本で子供の頃見た農業がそのままの形で行われている様子が広がっていた。「特に中国に行くと働く子供がいたり、裸で戯れたり、遊び道具を自分たちでつくる姿は、まさに昔見た日本のそれでした」

子供たちの遊び相手をさせられる水牛。怖がるどころかはしゃいでいる様子。中国・貴州省で2002年

 当時の子供たちを思い出すように、岡本さんは遠い目をした。「泥にまみれないと生まれてこない何かがあることを、彼らが改めて思い出させてくれたんです。日本では撮れないけれど、アジアにはまだ残っていた。それが僕にとってはうれしい発見でしたね」

「自分のものは自分で洗おう!」だよな。中国・陝西省で1995年

 平成の時代に入ると、中国をはじめとしたアジアの国々でも経済成長の波が押し寄せていった。ちょうどその頃、日本では「生きる力」を育もうと学校数5日制がスタートし、期待を寄せたが、目にしたのは大人がお膳立てした自然体体験活動ばかりで、人の手の入っていない自然の中で、生き生きした子供を撮り続けたかった岡本さんは、もうすでにそういう場所はないと諦めかけていた。そんな時出合ったのが、千葉県・木更津にある里山学校だ。きっかけは雑誌の取材だった。正式には、木更津社会館保育園の学童保育「土曜学校」。ここにあるのは、泥と自然と壊れた車や自転車など。あとは何もない。しなくてはならないこともない。時間割さえもない。子供たちは、やりたいことをやればいいだけだ。山の恵みを仲良く分け合う。自然遊びの中でおやつも調達する。千葉・木更津社会館保育園の学童保育「土曜学校」で2018年5月