鈴なり列車 夢の超特急 乗り物に見る昭和の暮らし

 戦争が終わっても、戦争被害の影響を受けて交通事情はしばらくの間好転することはなかった。特に、大きな都市では、物資や食糧の不足は深刻で、買い出し目的で農村地帯へ人々が押し寄せ、戦地から戻る人々の移動も重なり、鉄道は大混雑を余儀なくされる。こうした人々を運ぶ列車はその見た目から「鈴なりの買い出し列車」と呼ばれた。

 移動手段の不足は、スクーター人気を呼び起こした。手頃な乗り物として注目されたのである。一方で乗り物は、日本と経済の復興にも寄与する。戦後の物資輸送や、その後の朝鮮戦争によるトラック需要が高まり、生産量も伸びた。戦争が終わった直後には連合国総司令部(GHQ)は「経済を維持するだけの工業の維持を許容する」として、トラック及びバスの量産を許可を出している。

東海道新幹線の試乗会の様子。当時の人たちにとっては、まさに夢の超特急。ホームは大勢の人であふれている。1964(昭和39)年9月30日、太田畯三撮影、昭和館蔵

 64(同39)年の東京オリンピックは、鉄道や道路の発展を強力に後押しした。72年(同46)年に田中角栄が唱えた「日本列島改造論」が発表され、高速道路など道路網の整備も急ピッチで進められた。経済が発展するのと同時にモータリゼーションが押し進められたのである。

 乗り物という切り口で昭和を眺めると、戦前・戦後の時代の一面を雄弁に語っていることがわかる。当時の交通事情に目を向けると、その時代の世情や社会情勢を反映しているからだ。懐かしい写真と共に、改めて昭和という時代を考えてみるのも興味深い。

写真展の会場の様子。懐かしい貴重な写真が数多く展示されている

 午前10時から午後5時30分(入館は午後5時まで)。毎週月曜日は休館(10月10日は開館。同11日は休館)。入場無料。問い合わせは、昭和館03・3222・2577

【レトロイズム編集部】

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