チャルメラ 石焼き芋 切符鋏 耳で感じる昭和風情

 焼き芋と同じように食べ物を売り歩くもう一つの商売があった。豆腐屋だ。彼らの鳴らすラッパの音も独特だった。元々はイギリスで使われていたキツネ狩りのための道具だった。それがどうやって日本に伝来し、豆腐屋が使うようになったかは定かではない。彼らがラッパを吹き始めたのは、日露戦争後のこと。ロシアとの戦争に勝ってその喜びをラッパで表していたという。昭和40年代まで使われていたらしい。どう聞いても「と〜ふぅ〜」としか聞こえないのは錯覚か? 確かに子供の頃、1日に1度はこの音を聞いた覚えがある。懐かしい響きだ。

 また、腹に響いたのは、チャルメラ(木管楽器)の音だ。「チャララーララ、チャララララ〜」が聞こえてくると、家で飲んでいた父親やおじさんたちは、ついフラフラとその音の方に吸い寄せられるのはごく自然の成り行きだった。今も同じだが、「酒の後の締めラーメン」に惹(ひ)かれない大人はほとんどいないだろう。それを音で刺激したのが、ラーメン屋のチャルメラだったのだ。

 「たーけやー、さおだけー」で有名なさおだけ屋の掛け声も、昭和の住宅街では耳にしない日はほとんどなかった。

商店に新しい店がオープンするとチンドン屋が街を練り歩く光景が随所で見られた=JUN撮影

 商店街に出てみよう。商店街で一番派手だったのが、パチンコ屋の軍艦マーチだ。昭和40年代ぐらいには、気分を高揚させるのに戦争の歌が使われていたことに驚かされる。負け戦を思い出させる曲を使っていたのは、勇ましさの象徴だったのか。それに負けじと八百屋や魚屋が、「いらっしゃい、いらっしゃい、安いよ、安いよー」などと声を張り上げていた。だから、魚屋と八百屋のおやじの声はいつも枯れていた。勲章のようなものだろう。それに混じってチンドン屋も派手な衣装をまとって当時の流行歌を奏でながら商店街を練り歩いた。その後ろをなぜか子供たちがついて行った。それを思えば、商店街は、かなり騒がしい場所だった。「騒がしい」という表現は適当でない。「にぎやか」だったのである。それが購買意欲をかき立てた。そして何より、楽しい場所だった。

 かつて昭和と呼ばれた時代、季節の変わり目は、主に花や緑といった自然、祭りや花火大会に代表される地域の行事など視覚で覚えることが多かったが、実は耳でも春夏秋冬を感じることが少なくなかった。
 
 今考えれば、街中も路地裏も相当にぎやかだったように思う。我々はそんな音の中で、当たり前のように暮らしてきて、時の移ろいを感じてきたのである。今の世の中が静かすぎると思うのは、昭和生まれの性かもしれない。

文・今村博幸