レトロ建築探訪其ノ肆

あとがき

 第18回オリンピック競技大会が1964(昭和39)年に東京で開催された。第2会場となったのが、駒沢オリンピック競技場だった。駒沢通りから横に長い階段を上ると右に見えてくるのが陸上競技場(村田政真設計)、正面には五重塔をモチーフにした管制塔、左手には、神社仏閣の屋根を思わせる反(そ)りを取り入れた体育館がある。両施設とも日本の誇る建造物を巧みに取り入れているところに、設計者である芦原義信の日本人建築家ならではの高度な手腕がうかがえる。ちなみに、芦原は鉄パイプを折り曲げて作ったワリシーチェアで名をはせたマルセル・ブロイヤーの弟子である。

 これらの施設は、戦争が終わり、明るい未来をスポーツを通して切り開いていくための象徴となった。「アジアで初めて」「世界は一つ」と標語を掲げ華々しく開催された五輪は、世界にとっても日本にとっても大成功を収めた。東海道新幹線の開業や首都高速道路の建設などが、東京の新しい姿に花を添えた。

 マラソンで2大会目連続の優勝を遂げた、エチオピア出身の「裸足の王者」アベベ・ビキラや、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールの選手たちの姿を記憶にとどめている方も多いだろう。体育館の横に立っただけで、当時の歓声が聞こえてきそうである。

 古い建造物を見ていつも思うのは、「個性」という魅力である。合理性を求め、無駄を省いていくと、どこかで見たような建物になってしまう。現代の建造物がそうなっている感は否めないが、所々に、「独自性」が残っているのを見つけるとうれしくなる。

 今回巡った場所も全て、そこでしか見られない造形が、実に誇らしげにそびえていた。

文・今村博幸 撮影・JUN