グッとくる二眼レフカメラの魅力に迫る特別展

 当時の日本のメーカーの入れ込み様は特筆に値する。後に二眼レフのブームまで巻き起こすことになった。「火がついたのは1950年代、リコー・フレックスⅢからでした。割と安価で手に入れやすいのも影響したのでしょう。銀座ですごい行列ができたという逸話まであります。日本でのブームは50年代から60年代までがピークでした」。50年代後半の日本はまだ豊かさの発展途上だった。しかし戦後の復興と相まって、明るく照らされた山の頂きに向かってみんなで登っていこうという時代背景もあった。

1882(明治15)年に作られた、アカデミー1号。カメラ背面
から画像を確認する方式で、二眼レフの原型とされている  

 日本におけるブームは凄まじいものがあった。当時は、俗に「4畳半メーカー」と呼ばれた、家族でオリジナルブランドを作ってしまうという現象が起こり、小さなメーカーが林立する。「ブランド名をローマ字で書くと頭文字がAからZまで全部あるって言われたほどでした」。正確にいうと、全部はなく、「J」「U」と「X」が抜けているという(海外には存在した)。

マミヤC330マミヤC330プロフェッショナルf。レンズ交換を可能にしたり、アクセサリーも多く用意されていた

 現在、新たな二眼レフカメラはほとんど作られていない。形を模したデジタルカメラや自分で組み立てる雑誌の付録がたまに売り出される程度だ。ところが、近年人気が再燃し、当時の思い出を胸に秘めた年配のカメラファンに加えて、若い人たちにも広がっていると石王さんは解説する。「当博物館には、大学生が学芸員になるための実習に来ます。私たちが、それぞれのカメラを説明するのですが、二眼レフの説明を始めると、『かわいい』とか、『見たことはあるが、触ったことがない』『どうやったら手に入るの』ってみなさん興味津々です」 。中には、実習の後に、「二眼レフカメラ買ちゃいました!」と持参してくる学生もいた。「『二眼レフの魅力ってなんですか?』って聞かれた時に、機構的な答えではなくて『見た目が可愛い』でもいいんですかって、逆に私は聞いてしまうのですが、そこも人を惹(ひ)きつける一つであることは確かだと考えています」と石王さん。


本家のローライフレックス4X4=通称ベビーローライ
 (左)とそれを目指したと思われる国産のヤシカ44が並ぶ。
  フィルムの巻き上げ方も工夫を凝らしているのがうかがえる

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