昭和歌謡と懐かしグッズを肴に一杯飲る

 カウンターには、昭和ならではのグッズが飾られている。実際に使っていた世代なら、そこから会話も弾むだろう。南沙織のシングルレコードがつるされているが、彼女は、沖縄女性の美しさを全国に知らしめた最初の歌手だった。かの吉田拓郎もファンで、あだ名だった「シンシア」というタイトルで曲を書いた。ピンク・レディーの写真も、当時の歌謡界の盛り上がりを、改めて思い起こさせる。

アイドルのブロマイドも多数。プロマイ
ドは紛れもなく昭和の遺産であり、浅草
にある専門店マルベル堂もいまだ健在だ

 さらに、小学生の遠足の定番だったタータンチェックの丸い水筒。毎日の給食も楽しみだったが、芝生の上に座って食べた弁当のおいしさは格別だった。どこの家庭にもあった花柄のキッチン用品も遠い記憶の中に残っている。鍋は、母親が作ってくれた煮物の味の懐かしさが心に染みるし、魔法瓶の柄も同じような花で飾られていた。「あの魔法瓶は、祖父の家にありました。私にとっても懐かしい感じです」。1990(平成2)年生まれの富永さんが、笑顔を見せた。「店内は最初、もっとシンプルでしたが、だんだんモノが増えていき、途中からはあえて雑然とした感じを出すようにしています」

タコウインナー(税込み319円)の値段からも分かるように、全てのメニューは、とてもリーズナブル。オリジナルジョッキは、生ビール、ハイボール、サワーに使われる

 確かに昭和という時代は、決して洗練されていたわけではなく混とんの時代だった。その混とんさが今思えば美しき記憶であり、付随する忘れえぬ出来事と結びつきもする。そこまで計算され尽くされた店内には、特に年長者にとっては不思議な居心地の良さがあるのだ。「ただ、最近は、若いお客様も割合は多くなってます」と富永さんは、落ち着いた口調で言った。「子供に教えてもらったと言って来店してくださる、中年のお客様や、子供が自分の親を連れてくるパターンもあって、年齢層は広くなってますね。20代のカップルも多いですよ」チキンラーメンは、小さな鍋ごと出てくるのがポイント。昔の学生たちは、丼に移さずに鍋から直接食べていた

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