鉦と太鼓、クラリネットによる昭和歌謡で街中笑顔

 大人になり、サラリーマンとして仕事に就いた。この頃には、チンドン屋を見た幼い頃の記憶はほぼ消えていたと永田さんは言う。「あくまで、子供だったからこその、見たことのない情景への興味だったのかもしれません」。しかし、永田さんに、またしてもチンドン屋への想(おも)いが湧き上がる出来事が起こる。その時期を1994(平成6)年の冬と断言した。昼食のために職場を出た永田さんの耳に、鉦の「チン」という音と「ドンドン」という太鼓の響きが聞こえてきた。かつての思い出と相まって華やかに感じた。永田さんは思わず立ち止まったと当時を振り返る。「心の底から楽しそうなサックスの吹きっぷりが特に心に刺さりました」。さらに、太鼓に関しては、ボディーブローを打ち込まれたようなグルーヴ感を感じたと目を輝かせた。

風のない時は、基本的に傘を開く。開いた瞬
間に一行の気持ちのスイッチがパチッと入る

 その時に思い切って声をかけたことが、永田さんの人生を大きく変えることになる。親方と会いトントン拍子に話が進み、週末と有給休暇を使ってチンドン屋の手伝いをしながらの修業が始まった。一時はサラリーマンとの二足のわらじだったが、2001(平成13)年、永田さんはプロに転向した。「自分の性分として、毎日同じ職場に通うのはあまり好きではないようです。もう一つは、チンドン太鼓を鳴らし、店の宣伝をするこの仕事が楽しいし、好きなんです。それによって、クライアントや街の人が喜んでくれるのもありがたい。一番うれしいのは、同じお客さまがリピートしてくれること。僕たちのしていることに払う金額に見合う価値があると認めてくださるからですよね。その繰り返しです」

鉦は下の部分が削られている。自分好みの音色を得るためだという

 取材当日、空は青く晴れ渡り、チンドン屋日和だった。まずクライアントである銭湯の前からスタートする。「町内の皆様、お騒がせしております。銭湯のお知らせでございまーす」。そう言うと演奏が始まった。軽やかな鉦と小気味良い太鼓のリズムに合わせて、最後尾で柿崎勝行さんが担当するクラリネットが定番の「三味線ブギウギ」をはじめ次々と昭和歌謡を中心とした曲を高らかに吹きはじめた。

一行の演奏を聴きながら、若い女性の2人組が「お知らせ」を興味深げに眺めてた。「今度行ってみようよ」と話しているに違いない

 銭湯は北千住の駅から歩いて5分ほど。商店街の中である。大太鼓担当の永田さんの妻・美香さん(チンドン芸能社の共同代表)が、銭湯のチラシを通りがかりの人に手渡していく。わずか3人の編成だが、彼らの生み出す世界観に誰もが見ほれ、生音が聴く人の心に染み込んでいるのがよくわかる。街の人たちは、彼らのパフォーマンスに引き込まれていた。演奏にも魅了されるが、驚かされるのは、ほとんどの人がパンフレットを受け取ることだ。駅の周りでティッシュを配るのはよく見かけるが、受け取らない人も多い。しばらく見ていると、「銭湯にお得に入れまーす」などと声を張り上げて、美香さんの手から繰り出されるパンフレットは、老若男女、受け取らない人はほとんどいない。女子高生の多くも手に取る。さらに印象深かったのは、パンフレットを手にした人たちが、必ず中身を開いて見ることだ。「チンドン屋の渡すパンフレットは、なぜか捨てられないらしいんです。みなさん割と、持ち帰ってくださっているようです。家庭で『今日チンドン屋さんを見かけてもらったんだよ』なんて話で盛り上がってくれたらうれしいんですけどね」と額に汗を光らせて美香さんがほほ笑んだ。 

商店のおかみさんと立ち話。この風景は至る所で見られた。永田さんが言った「街に溶け込んでいる存在」として認められているという言葉に納得

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