文豪も愛した昭和を象徴する小さな西洋旅籠

 現在、ホテル内や客室を飾る調度品の多くは、80(同55)年当時のものが使われている。「創業者である吉田俊男や奥様の趣味が色濃く反映されています。もともと、個人経営の小さなホテルですからね」。ロビーに並ぶソファや近沢レース店に発注した品のいいレースが敷かれたローテーブルなども、同じ年に入れたものだ。「ノルウェーで多くのファンに支持されていたバットネ社のもので統一してます。横浜の家具の老舗『ダニエル』やACTUSの前身である「青山さろん」を通して購入した希少価値の高い年代物です。一部革を張り替えましたが、張り替えずに当時のままのものも何脚かあります。こちらの方が味があっていいと言うお客様もいらっしゃいますよ」。エントランスを入って右に進むと、それら年季の入ったソファが並ぶ。スペースの一角には、凝った作りのライティングビューローと椅子があり、壁には、池波正太郎が描いた小さな絵が飾られている。「池波先生は、このライティングビューローの椅子に座って、従業員などとよく談笑されていました」

エントランスを照らすシーリングライトの柔らかい光が客を迎える

 客室は、どれも個性的で楽しい。例えば、応接室と寝室があるジュニアスイートは、ベージュのじゅうたんに白塗りの壁、アーリーアメリカン調の家具が設(しつらえ)られている。ロッキングチェアがあるのも珍しい。「スタンダードの部屋も含めて、それぞれ違うタイプの特徴ある古いライティングデスクや鏡台、手作りの家具などが入っています。なかなか味があるでしょう」。峯松さんは自信を持って目を細めた。元々、外国人向けに作られているので、ドアの取っ手の位置がかなり高い。「のぞき穴」もブザーもない。「お客様に呼ばれた時やルームサービスを配膳する際には、『ドアをノック』するんです」。軽く握った手を前後に動かしながら峯松さんがそう言った。「華美ではありませんが、『寛げるしほっとする、落ち着く』って言っていただけます」。それは、信念を貫いて昭和を生き抜いてきたホテルにしかなし得ないことである。「3歩進めば、絵になるものに出合えるのも、当ホテルの自慢でもあります」と峯松さんはほほえんだ。

ロビーに隣接した9席だけの「止まり木」の入り口。作家たちが仕事の疲れを取るためにここに下りてきた。原稿待ちをする編集者たちも多かった

 もう一つ、嬉しい懐かしさを客に抱かせるのは、ホテルとしての姿勢である。「創業者である吉田が目指したのは、西洋ホテルの良さと、日本旅館のもてなしの心を併せ持つ『西洋旅籠(はたご)』でした。外観は洋風だけれども内容は、日本的な心でありたいと考えていたようです」。広告を文芸春秋や文学界、文芸などに出していたが、その文章の全てを吉田氏が手書きしていたと言う。そこにあるのは、経営者としての言葉とはとても思えない。「人としての思い」そのものである。以下はその文面である。

“ただありがたいと言ふ気持ちで/こころから「つくす」だけ/これを何十年と続けるうちに/こんなホテルになりました”。”丘の上のホテルは/昔のまんまの姿/変へないのが/いいと思っててゐます”。”何にも言わないけど/そばにいるだけで/心が和む/そんな人があるでせう/ホテルもそうなりたいなあ”

 確かに、ロビーに入った瞬間、そして部屋に入ってからも、全く感じないのは、「よそよそしさ」だ。漂う香りに無機質さをみじんも感じさせないのである。


エントランスを入ると正面にある上から下まで見渡せ
るらせん階段。海外の古い映画のワンシーンのようだ

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