子供たちの幸せが散りばめられたぬり絵の美術館

 戦争が終わり、全ての国民が明るい未来を自分の心の中に思い描いていた。子供たちは、夢や憧れ、希望を自分の手で生み出していける遊びであるぬり絵に夢中になった。その一つがきいち氏独自の世界に存在していたのである。「貧しかった戦前から、ガラリと変わった世の中に、日本人は、奇麗なものとか楽しいものを求めたと思うんです。それに応えたのがぬり絵でした。見たこともない世界観が目に飛び込んできたので


トイレの入り口にもきいち氏特有の画風の子どもの顔が描かれていた

 そうは言っても、まだまだ「豊か」というには程遠い時代だった。「当初は、(ぬり絵はまだ高価だったため)都会に住む女の子でも買ってもらえなかった人がたくさんいました。買うこと自体が憧れだったという人も少なくなかったでしょう」やがて、ぬり絵が女の子の遊びの中心になっていく。「当時の女の子たちにとって、ぬり絵はキラキラに輝いて見えていました。自分のイメージで色を塗ることが楽しかったし、夢を追いかけていることと同じ意味を持っていました

館長の金子さんは、感想ノートに「ありがとう」の言葉が目立つと言うが、筆者からも「こんな美術館を作ってくれてありがとう」と言いたい

 ぬり絵のブームは、65(昭和40)年を境に、テレビの出現とともに静かに消えた。しかし、金子さんという、一人の女性によって、こうして現物が保存され、見ることができる。「ぬり絵に対して、いまだに「想(おも)い」を持っていらっしゃる方が、少なからずいることを、美術館は教えてくれました」観覧者の中には、かつて自分が塗ったきいち氏の絵を持参する人がいる。「捨てられない自分の思いを、大切に展示してくれる場所があるならそこに収めたい気持ちがあるのだと思う」と金子さんは言う。「中には、お母さんの遺品から出てきたからとおっしゃる方も。やはり捨てられないですよね」。感想ノートには、「こんな良いもので遊ばせていただいてありがとう」というきいち氏に対する感謝の言葉が多いと金子さんはほほえむ。「若い人たちも、絵から感じる、優しさとか温かさ、ほのぼのとしたものに心が惹(ひ)かれているのを感じます」

デザインされた文字でぬりえと描かれているエントランスは実に個性的だ

 戦後しばらく、日本は経済的にはまだ貧しかった。しかし、当時のぬり絵を見ると、日本人の心の中は豊かだったのではないかと思わされる。ぬり絵とクレヨンを買ってもらって、子供たちは幸せだったはずだ。その幸せが、美術館の中に散りばめられている。                        

=©️きいち/小学館

ぬりえびじゅつかん
東京都荒川区町屋4-11-8
📞:03-3892-5391
開館時間:正午〜午後6時(3月〜10月)
午前11時〜午後5時(11月〜2月)
休館日:月曜日〜金曜日(土日のみ開館)
※8月29日まで臨時休館

文・今村博幸 撮影・JUN

 

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