昭和の音楽史に名を刻んだ巨星たちを悼む

 作曲家の筒美京平は、往年の大作曲家である。彼無くして昭和の音楽は語れないし、成り立たない。何しろ、歴代作曲家シングル総売り上げが1位なのである。作曲家としての才能の広さと深さは特筆に値する。特に60年代後半から80年代後半にかけてのヒット曲には「必ず」と言っていいほど、彼の名前が登場する。GSにはじまって、歌謡曲、アイドルグループ、J -POPまで、あらゆる作曲を手がけてきた。その全てを列挙することは、この原稿の崩壊を意味するのでやめておくが、彼の偉業の一端を、われわれのWebマガジン的に挙げるとすれば「サザエさん」ということになろう。オープニング、エンディングとも筒美が作曲を担当した。生きていればいろんなことがある。それでも家族の絆や笑いで吹き飛ばしてしまおうといううるわしい物語が多くの視聴者の心に響いたし、今でも響いている。そんな物語を五線紙の上で見事に表現した、底抜けに明るいメロディーに、誰が嫌悪感をもつであろうか。誰もが歌える「サザエさんの歌」と「サザエさん一家」に、励まされた人がたくさんいるはずである。

 そんな筒美が鬼籍に入ったのは咋年(2020)年の10月7日のことだった。彼を追うように、同年12月23日には、黒澤敏雄「時には娼婦のように」、細川たかし「北酒場」、アン・ルイス「グッド・バイ・マイ・ラブ」などの作詞で知られる、なかにし礼が永眠した。

 昭和の音楽史にその名をとどろかせていた著名人が、次々とこの世を去っていく。年齢的なものも当然あるが、一人、またひとりと比類なき才能がこの世から消えていく。その淋しさは、どこで紛らわせばいいのだろう。

文・今村博幸

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