ドキドキ感が楽しい! 銀塩カメラで撮る幸せ

 今回、数あるカメラの中で、35mmのフィルムが装填できるとても小さな一台(ローライ35S)を見せてもらった。「これだけ小さいと、デジカメ一眼レフと一緒に連れていって、移動時間に撮影したりできますよ」と赤城さんはうれしそうに言った。彼には自分で宣言するように、見せびらかしたい癖があるらしく、「カメラ好きな人に会いそうだから、珍しい作りのカメラや、ひどく小さなカメラなんかを、見せびらかすために持っていくこともよくありますよ」。

実に楽しそうに話をする赤城さん。被写体としてこれ以上ないほど笑顔がステキだ

 機械そのものへの興味から始まったカメラへの傾倒は、やがてその装置から生み出される写真へと広がっていく。当時はカメラ雑誌が乱立していて、中でも購読していたのが、「カメラ毎日」だった。一般的に、カメラを始めるきっかけは、モチーフが大体決まっていて、汽車や電車、天体などが一般的だった。「所有できないものをいただいてくる、みたいなところが写真にはあります。写真を撮って自分のものにする。天体の星や汽車を所有することは不可能ですからね。中学生や高校生の頃の所有欲は、写真によって満たされた部分もずいぶんあると思います」。赤城さんは、風景も撮ったが、むしろ人に興味があった。男女問わず仲のいいクラスメートを被写体にすることが多かった。「それによって女の子と仲良くなったりできたのも、いい思い出の一つですね」。赤城さんは、シャイな表情を見せた。

左ページと右ページのプリントは、それぞれ一コマのネガフィルムから制作された写真。現像とプリントの技術が違うだけで、これだけの差が出てくる

 カメラ毎日(毎日新聞社、85年4月号で休刊)編集部に作品を持ち込み、公募の「アルバム」というページに「目ざし(まなざし)」というタイトルで掲載されたのが、フォトグラファー赤城の最初の公への露出だった。作品は、街のスナップ写真が中心だったが、極力人を入れることにこだわった。「僕の興味は、一般の人たち、いわゆる市井の人たちの姿です。その背景に古びた建物や鮮やかな風景などがあるといいね。でもやっぱり根本にあるのは、人間に対する本質的な興味なんです。それもなるだけ自然な方がいいと考えています」。人間に対する興味はあるが、特に「人が好き」かと言われれれば「どうかな」と赤城さんは自分を分析する。しかし、フィルムに収めたいのは、思わず出てしまう笑顔や、怒っていたり泣いていたりする感情があらわになっている人たちだ。「あと、旅行に行って、ふと見つけたさびた看板なんかもよく撮りますね。人から見たらなんでそんなものって思われるようなものも興味の対象ですかね」

明るい写真家・赤城耕一さん。いかにカメラが好きかが、この写真一枚で一目瞭然だ

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