電車に夕日、紫煙と珈琲 我が青春の玉突き場

 ゲームとしての楽しさも、ビリヤード(ポケット)は持ち合わせている。最たるものが心理戦だ。特に相手が強い場合には、思いどおりに玉を突けなくなる。そのプレッシャーを跳ね返し、玉がポケットに吸い込まれた時の、喜びは他ではちょと味わえない。

ブランズウィック社製の台の四隅は、金属で飾られ、ロゴが刻印されている。昔からよくお目にかかる名品の一つだ

 若かりし頃、一度は玉突きに夢中になったご人も少なくないだろう。昭和初期からの中頃にかけて、全国にビリヤード場は2万5000あったとも言われている。筆者も、10代後半から20代前半ぐらいの時には、毎日のように玉を突きにある店に通った。スティービー・ワンダーなどのソウルミュージックをジュークボックスで際限なく流しながら、何時間も玉を突いた。ビリヤードが青春のある一定部分を占めていたと言っても過言ではない。淡路亭の階段を上がり、六つの台が無骨に並ぶ姿を見せられ、玉同士が当たる甲高い音やポケットに落ちた玉が台の中をゴロゴロと転がる音などを聞かされたら、当時の高揚感が否が応にも蘇ってくる。

対戦相手がプレーしている間は、脇に備えてあるテーブルの横で待つ。いったんキューを手から離して気持ちを落ち着かせる

 淡路亭は、1948(昭和23)年に創業した老舗だ。65(同41)年に現在地に移転し、数多のプレーヤーに愛されてきたかけがえのない場所でもある。取材時に訪れていた、高校生の頃からうん十年通う常連客が、いみじくも言った。「もちろん玉突きは好きですが、僕にとっては、ここ(淡路亭)ありきのビリヤードなんです。ついつい来ちゃう感じですね。仕事がなかったら、週に6回来ちゃいます。そのくらい居心地のいい場所なんです」。彼は店内を見回しながら、「雰囲気も含めて、なんにも変わってません。そこがまたいいんですよね」と言った。

キューの先端であるタップのメンテナ
ンスは、酒井さんの大切な仕事の一つ
だ。師匠の教えを守って手入れする 

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