愛情たっぷり 昭和の洋食に舌鼓 驚きの価格設定も

 西洋料理店は、江戸末期に長崎で開店したのが始まりと言われているが、長い間、フランス料理をベースにした高級店ばかりだった。いわゆる「日本の洋食屋」が本格的に町場に出てきたのは戦後になってからだ。そんな流れの中で生まれたのがフクノヤだったのである。小黒さんは、当時を振り返る。「僕らの子供の頃は、ほとんどの親が忙しかったと思うんです。子供はあまり相手にしてもらえず、どちらかといえばほったらかしでした。それが高度経済成長期という時代だと思うんです」

 ただし、忙しい稼業ならではの楽しさもはっきりと記憶していた。「学校から帰ると、『母ちゃん、メシ! オムライスでいいや』なんて言ってね。腹を満たすと近所の駄菓子屋へ行ったりして、遊びには事欠きませんでした。近くの銭湯にもよく行きましたよ」

おかずは、単品でも頼める。その値段に頭が下がる思い

 そんな小黒少年は、いつかはこの店を継ぐのだろうと、淡い予感があったという。若い頃したアルバイトも、コーヒー屋やパブ、居酒屋などの飲食店が多かった。スキーに熱を入れていた小黒さんは、趣味と実益を兼ねようと、スキー場のロッジなどで働いたが、朝から晩までキッチンに入って料理を作らされた。スキーができると思っていたが、忙しさで疲れ果て、結局は料理ばかりしていたと、小黒さんは笑う。「ただ、飲食業は身近に感じていたし、料理を作ったりお客さんと話したりするのはもともと好きだったんだと思います」

フクノヤのトレードマーク。主人にかなり似ているように見える?

 そんな小黒さんが繰り出す料理は、「昭和の洋食」そのものだ。最も人気のあるメニューのひとつがカレーである。牛肉を主体に玉ねぎやニンニク生姜などを3日間煮込む。「肉が粉々になるまで煮込むと、それが味になります。試行錯誤の末、行き着いた(現時点の)結果です。時間と手間をきちんとかければうまいものができるんです」

「他ではあまりお目にかかれないカレーを」
と考えて生まれた病みつきになる鉄板にの
 せたカレー。カツをトッピングする客も多い

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