懐かしいはずの曲が、カバーされるたびに、新しいイメージを開花させる妙に舌を巻く。46年前の曲が何度も生まれ変わり、その都度新たな感情と、変わることのない懐旧の念が同時に体を包み込む。これほどまでに、今と昔を強く結びつけ、押し寄せるような感情をわき立たせてくれるモノやコトは他にそう多くはないだろう。好みもあると思うが、坂本冬美バージョンは絶品だ。イルカが歌うと甘酸っぱい青春ソングだが、坂本のそれは、艶のある風景が随所に描かれた絵巻物を見せられるようだ。
日本のカバー曲の歴史は、1960年に起きた小林旭による「ズンドコ節」のリバイバルブームと時を同じくして始まる。70年にリリースされた、尾崎紀世彦の最初のアルバムは全曲洋楽を改めて編んだ「尾崎紀世彦ファーストアルバム」で、オリコンチャートの2位を記録。カバーアルバムでオリコン1位を日本で最初に記録したのは、吉田拓郎の「ぷらいべえと」だった。ビレッジピープルの「Y.M.C.A」を日本に紹介した西城秀樹の「YOUNG MAN」は、日本歌謡大賞を洋楽のカバー曲として初めて受賞した。
いわゆる逆カバーと呼ばれたのは、日本の楽曲を海外のアーティストが歌ったもの。レイ・チャールズがサザンオールスターズの「いとしのエリー」を「Ellie My Love」のタイトルでリリースしたのは、この年代のリスナーにとっては衝撃的だったといっても過言ではない。あのヒット曲が、レイ・チャールズの声で、レイ・チャールズ節で聞こえてきた時、涙とともに聴いたご仁も少なくないだろう。
なごり雪を歌っていたイルカは、オー バーオールがトレードマークだった