レトロ散歩 其ノ漆

あとがき

 もはや、「人の情」は遠い日の幻になりつつある。日々の食料を調達する大手スーパーマーケットしかり、日用雑貨を売る深夜まで営業している巨大ディスカウントショップや家電量販店も同様だ。普段我々が買い物で訪れるのは、他の店より安価という理由のみで、人情に触れるなどという機会はほぼなくなった。いくら大きなスーパーマーケットができようとも、魅力的な個人商店が並ぶ商店街が廃(すた)れない理由の一つはそこにある。

「砂町銀座商店街」は、成り立ちからして、ズッポシ昭和である。誕生は1932(昭和7)年。当初は約30軒ほどの店舗が集まっていた。日本一の繁華街である「銀座」にあやかって、その名がつけられた。その後、東京大空襲によって全てが焼け野原と化した。再興は戦後で、ほぼ現在の形になったのは、63(昭和38)年ごろであったと、公式ホームページが伝えている。

 人の情が脈々と息づいているのは言うまでもない。痕跡は随所に見られるが、八百屋の軒先で見た光景は象徴的だった。腰の曲がったお婆さんが、大量の夕飯用材料を店備え付けの買い物カゴに入れ、ちょっと厳(いか)つめの八百屋のお兄さんに会計を頼んでいた。彼は、野菜を一つずつ電卓で計算しながら、買い物カゴからお婆さんが手に持つ袋へと移し替えていた。それぞれの値段がおばあさんにわかるよう、買い逃しがないようにとの配慮だと思う。地元の気心の知れた店での買い物に安心し切っている彼女の表情が印象的だった。

 夏の強い日差しが、道幅の細い商店街いっぱいに容赦なく照らしている。歩く人たちは、あふれる汗を拭きながら買い物をし、若いカップルは、練り物屋の店先で湯気をたてているおでんや揚げ物屋のコロッケで小腹を満たしていく。彼らの表情にも、「いつもの場所」で、心の底から寛いでいるのがよくわかる。

 影が長くなる夏の夕方、各店舗も仕舞いの時を迎える。焼き鳥屋の店先に山と積まれたタネもほぼ完売し、タレだけが残る大きな皿が何枚も積み重ねられていた。

 完全に日が落ちると、昼間の喧騒がうそのように商店街のにぎわいも消える。そんな時間の流れ方に、無理も飾り気も、ましてやてらいなどみじもない。あるのはごく当たり前の幸せなのだ。

文・今村博幸 撮影・SHIN

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