文人墨客が愛した新宿の高尚な香りの文化知って

 明治以降になると周辺の牛込や神楽坂あたりに文人墨客が住むようになる。今でこそ、新宿という街の魅力は、その猥雑(わいざつ)さにあると言える。しかし、かつては珠玉の作品群を残した作家たちが生きた街でもあった。宮沢さんが感慨深げな表情で言う。「特に牛込や四谷あたりは、数多の作家が居を構えて創作活動を行っていました。まさに、文学界を引っ張ってきたのが新宿と言っても過言ではないと思います」

ちゃぶ台の上には、うな丼が4人分。「料理は季節に
よって変わります。天ぷら、コロッケやカレーの時
も。正月にはおせち料理も並べますよ」と宮沢さん

 そんな作家の一人、尾崎紅葉について宮沢さんが解説する。「彼は、神楽坂の近くに住んでいましたが、雑木林や江戸情緒が残っているこの辺りに惹(ひ)かれたんじゃないかと思う。さらに江戸の文人に憧れていた節があります。弟子の泉鏡花も近くに住んでいました。極めつきが夏目漱石。まあ彼は、新宿生まれですからね」。そのほか、森鴎外や幸田露伴など、そうそうたる文学者が新宿に居をかまえた。大きなパネルには、幕末から昭和まで作家たちが残したコメントや、凝った装丁の作品が並んでいる。「一部、復刻されたものもありますが、ほとんどは当時の本物です」。それら美しい装丁を見ているだけでも楽しい。

新宿中村屋のカレーライス。今も同じスタイルで供される 

 また紀伊國屋書店も、新宿の歴史を語る上で忘れてならない存在であり、創業者の田辺茂一氏の貢献度は高い。「彼は、若い頃から文学青年で自分でもちょこちょこモノを書いている。作家のパトロン的な立場でもあり、彼の周りには文士がたくさんいたことも、書店の創業と密接に関わっています」。田辺氏が著した随筆集「酔眼竹生島」が出版されたとき、多くの作家や画家が描いた寄せ書きも、極めて貴重な資料だ。「高見順や井伏鱒二も寄せ書きしていますが、洋画家・中川紀元の描いたヌードは、ちょっと面白いですよね」。そういって宮沢さんが微笑んだ。

紀伊國屋書店の創業者・田辺茂一氏の「酔眼
竹生島」出版時に書かれた寄せ書き。洋画家
の中川紀元が描いた挿絵風のヌードも貴重だ

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