人生で必要なことは、すべて銭湯が教えてくれた

 子供の頃には、家に風呂があるにもかかわらず、友達と週に何回か銭湯へ行った。大人同様、子供にとっても社交場でもあったのだ。何人かの友達と連れ立って銭湯へ行き、体を洗い、学校のことなどを話しながら過ごす。洗いっこをするわけでもなかったが、まさに裸の付き合いが子供ながらにあったのだ。子供だから、服を着てようがいまいが、付き合いに大差はない。でも、なんとなく楽しかった。外で遊ぶのとは別の楽しさがあった。当時の自分を思えば、交流を深めようなどという気持ちは薄かったと思う。今になって思えば、ただの友達から、すこし深い関係になれたような気もする。

手ぶらで来た客のために用意されたシャンプーやせっけん、ひげそりは昔からあって今も健在だ

 どんなものからでも遊びを発明するのが、一昔前の子供たちだった。銭湯でも同じだ。一番楽しかったのは、うつ伏せで洗い場の床をスーッと滑る遊び(今ではそんなことをすると叱られる可能性大)。ぬれたタイルは滑りが良かったのだ。度が過ぎると、知らないおじさんに、頭とゴンとたたかれた。でもやっぱり楽しいので、おじさんがいなくなるのを待って、同じことを繰り返して遊んだ。湯船では、どちらが長く潜っていられるかの勝負や、人がいないときには泳ぐこともあった。これもやりすぎると、おじさんに怒鳴られた。タオルを空気を入れながら湯船に沈めて、友達のお尻の辺りでボコボコと泡を出し、「お前おならしたな!」などと言って笑いあった。どれも、今となっては多分アウトだし、そんなことをする大人も子供もいないだろう。当時から、タオルを湯船に沈めるのはご法度ではあった。

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