聖子と明菜、キョンキョンが残したもの

 松田聖子を西の横綱とすれば、東の横綱は中森明菜で異論の余地はないだろう。デビューのキャッチフレーズ「ちょっとエッチなミルキーっ娘(こ)」は笑えるにしても、ファーストシングル「スローモーション」の楽曲と合わなかったのか、期待されたほどレコードの売り上げは伸びなかったため(最高位は30位、売り上げは17万枚=オリコン調べ)、路線変更を余儀なくされる。そんな中、セカンドシングル「少女A」は、山口百恵の「プレイバック・partⅡ」をほうふつとさせるツッパリ歌謡で勝負をかけた。それが見事に当たり、脚光を浴びる(皮肉にも明菜自身は「少女A」を嫌いな曲と公言している)。次のサードシングル「セカンド・ラブ」の大ヒットにより、一気にスターダムにのしあっがっていった。その後の大活躍は言わずもがなだ。

 聖子が万人受けしたのに対して、明菜のファンはヤンキー系や水商売系の割合が比較的多かったように思う。憂いのあるまなざしでテレビカメラをにらみ、楽曲ごとに違った表情を見せるいわば「女優」でもあった。振付師の三浦亨さんはテレビ番組の中で、「取り憑かれたような歌ばっかり」「一回一回、死んでも良いって感じでやっていた」と述懐している。聖子が「陽」ならば、明菜は「陰」。声質や歌い方、楽曲、衣装はもとより、性格から生き様まで対極にあった。聖子がさまざまな男性と浮名を流し、三度の結婚や出産を体験したのとは対照的に、明菜は交際相手だったマッチ(近藤真彦)が米国・ニューヨークで聖子と密会していたことを知り、自殺未遂騒動を起こしたといわれている。その後、所属していた大手芸能事務所・研音もやめ、個人マネジャーとともに再出発したのを機に仕事が激減し、テレビから姿を消した。マツコ・デラックスやミッツ・マングローブをはじめ、稀代の歌姫を今もなお、愛してやまないファンも少なくない。

復活が望まれる伝説の歌姫・中森明菜

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする