未だ色褪せぬ歌謡曲は現代のセカンドインパクト

 2曲ほど巨匠的ミュージシャンの懐かしい曲を出したが、他にも多くの歌手が同じような伝説的演奏や歌唱を残してきた。それが日本の昭和歌謡のありし日の真の姿なのである。昭和歌謡のジャンルの中で外せないのが演歌だ。浅草にある「音のヨーロー堂」の店主・松永好司さんは言う。「演歌の歴史は長くはないけれど、昭和音楽の象徴です」

 確かに、当時のテレビ番組では、半分ぐらいが演歌歌手の歌声を聴くことができた。彼らの偉大さは、個性にあった。それぞれの声は、他の誰の声ではもちろんなく、その人の声そのものだった。五木ひろしにしても、森進一、八代亜紀、北島三郎にしても、彼らにしか出せない声と歌唱法で聴く者を魅了した。ワンフレーズ歌っただけで、その人だとわかるほどの存在感が確実にあったのだ。演歌歌手だけではない。御三家と言われた、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦も、新御三家と言われた、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ、花の中三トリオ、森昌子、山口百恵、桜田淳子にしても、全員の声が、当然のように全く違う。こんな当たり前のことを書かなくてはいけないのは、音楽に携わる全ての人の個性が過去には存在し、かつ今は無くなってしまったに等しいからである。

ディスクユニオン昭和歌謡館の店内へ降りていく階段で目にするそそられるポスター

 「歌は世につれ世は歌につれ」と日本人で初めて言ったのは、昭和の名司会者・玉置宏その人だった。(正確にはことわざだが、電波に乗せて、あまねく世間に広めたという意味では玉置氏が最初と言って良いだろう)。彼はまさに昭和歌謡をバックから盛り上げた人の一人である。

 今の歌手に個性がないのは、今の世の中が個性を求めてないからかもしれない。みんな同じでいい、みんなが同じじゃないと嫌だと思っているからかもしれない。時代の流れをどうこういうつもりは毛頭ない。そういう流れがあるならばそれはそれでいい。しかし、一言尋ねたいのは、「それで面白いのか?」という問いだけである。誰もが同じなら、自分が存在する理由もなくなってしまうではないか。

 昭和歌謡は、かつて存在した遺産である。しかし、その遺産が最近復活してきている。その一つがディスクユニオン昭和歌謡館や、音のヨーロー堂などに客がたくさん訪れている現象である。この紛れもない事実は、過去に作られた個性あふれる音楽や歌声がいまだに生きていて、発信する個性豊かな人たちがいまだ健在であることの証明だ。


文・今村博幸 撮影・柳田隆司

※新型コロナウイルス感染拡大で、現在取材を自粛しております。当面、特別編を配信する予定です。ご了承ください。

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