演歌と昭和歌謡推し 老若男女が集う老舗店

 ヨーロー堂が創業したのは、大正元(1912)年である。初代が岐阜県養老郡の出身で、東京に出てきて時計店を開く。時計はゼンマイで動くことから、同じゼンマイで動く蓄音機も扱いだしてレコード店へと移行した。「レコード店のルーツにはいろいろあります。蓄音機などが高級志向のぜいたく品でしたから、同じ高級品である宝石店からレコードを扱う店になることもあります。うちは時計店から始まりました。まだ蝋(ろう)管があった頃だそうです。今ある古いレコード屋の多くが、一等地にあるのは、同じ理由によります。うちはまだその流れを守っているということになりますね」

カセットテープの人気はいまだに根強く、カセットでなくてはダメと言う人もいる。演歌や歌謡曲を中心にラインアップされている

 独特な雰囲気が漂う店内は、いるだけで心が浮き立つ。「この空気は、作って演出しているわけじゃありませんが、残ってしまったというのが正直なところです。でも、残せて良かったなと考えています」。その理由を語る松永さんの表情は心なしか輝いて見えた。「私自身も古いものが好きなので、改装しなくてもいいかなと。昔のものを残す良さをわかっているつもりだし、残すべきだとも思いました。新しくするよりも労力はかかりますが、間違いなく意味があることなんです」。浅草という風土の中で、この雰囲気が残ったのは、必然でもあったと、松永さんはほほえんだ。

ホールの壁には、懐かしさで胸に熱いものがこみあげるようなポスターがふんだんに貼ってあり、雰囲気をさらに盛り上げる

 新譜も充実させたいという気持ちの一方で、松永さんは、昭和歌謡や浅草の音楽を残していくのが使命でもあると考える。「レコード屋は最先端の商売だから、どんどん新しいものを入れるのが正道です。でも今までリリースされ、聴き続けられている音楽を極めていきたいというのが当店の柱の一つです。店の雰囲気と扱う商品が一致している自負はありますよ」。昭和歌謡も豊富だが、特に演歌に力を入れるのには、松永さんが心に秘める確固たる信念があるからだ。「演歌は、長い歴史を持っているわけではありませんが、昭和音楽の象徴でもありますし、いまでも根強いファンがたくさんいらっしゃって、受け継がれるべき音楽なんです。でも誰かが意識的に繋ぎ止めておかないとまた衰退してしまう。そんなはかなさがあるのが音楽でもあります」。ひと頃の、昭和歌謡や演歌が苦しかった時代は過ぎ、今また盛り上がり見せている、と松永さんは言う。

店主の松永さん。昭和の邦楽の中で輝いていた演歌を中心に、「浅草らしい音楽を残したい」と力強く語ってくれた