レトロイズム記者が独楽専門店主とベーゴマ対決

 独楽の店を始めたのは、1983(昭和58)年のことだった。うなぎの寝床のような店の両側に備えられたガラスケースの中には、全国から集められたさまざまな独楽が並ぶ。曲芸するピエロ独楽は、それぞれの部分が外れて単独の独楽になる。回すと、残像で富士山が現れる独楽もある。木で作られた、工芸品と言っていい独楽は見ているだけでも楽しい。独楽の中でもベーゴマが一番面白いと、ひさ子さんが断言する。「勝負ですからね。取ったり取られたり、スリルがありますよね」

かつてベーゴマで遊んだ人は、独楽同士が当たる、「カチッカチッ」という音を聞いただけで、懐かしさが込み上げるはずだ

 当時の子供たちは、所有するベーゴマをいかに強くするかに心を砕いた。独楽の上面にろうやハンダを溶かして乗せたり、八角形の各辺をヤスリで磨いて角をとがらせたり、さまざまな工夫をした。ベーゴマを強くする方法は、近所のお兄さんや、おじさん、仲間たちからもたらされた。負けた時には、次には取り返そうと必死になった。地道な努力、闘争心、負けた悔しさを教えてくれたのがベーゴマだったのである。

ベーゴマいろいろ。小さいが存在感抜群。手の平でかんじる鉄の感触と重みが、好きな人にはたまらない

 しかし、ベーゴマ自体が昔と変わった、とひさ子さんが目を伏せる。ベーゴマの存在感は、ずっしりとした重みだったはずだが、非常に軽くなったというのだ。「それと値段がすごく高くなっちゃった。昔は何十円の世界でしたけど、今は1個250円もします。小学生にはちょっと高すぎます」

 ベーゴマは一度、絶滅の危機に瀕(ひん)したことがあった。ひさ子さんが解説する。「川口の鋳造所で多く作られていましたが、老朽化で型がダメになっちゃって、作り直さなければならなくなったんです。だから作るのをやめるって工場は言ってたのですが、愛好家になんとか続けてほしいと頼まれたそうです。結果、作り始めたのはいいんですが、そのせいで値段が上がってしまったんです」

透かし独楽。富士山が世界遺産になった時に作られた。回すと雪をかぶった富士山、夕日を浴びて赤い富士山などに見える

 それでもベーゴマが残っていること自体に意味がある。遊びとしては単純だが、技術を身につけるための多少の練習が必要なところが、男心をくすぐったし、今でもくすぐられる男の子がいると信じたい。

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