よもやま話に花が咲く下町の極楽浄土

 いいことづくめの銭湯だが、年々減少傾向なのは周知の事実である。50年前と比べると、その数は10分の1まで減っているという。「裸の付き合い」も、今は昔の夢物語。裸どころか、顔も声も知らない相手と、擬似的なコミュニケーションで満足する時代なのだ。だからこそ、銭湯が必要だと本田さんが重ねて力説する。

「風呂屋は体をきれいにする場所です。でも役割はそこにどどまらない。家庭風呂がほとんどの世帯にある現代において、地域のコミュニティの役割を担ってきたんだよ。誰にとっても社交場だった。さらに子供の教育の場でもあったんだね。頑固じいさんが、いたずらする子供を「お前何やってる」って叱(しか)る。そんな場所はやっぱりなくしちゃいけないんだよな」。加えて言えば、銭湯では誰もが平等である。江戸時代から続く大原則だ。そこには、士農工商はなく、湯屋に入るときには、武士も刀を番台に預けて平民になった。「天は人の上に人を造らず」と言った、あの福沢諭吉先生が風呂屋を経営していた事実は興味深い。

女湯の甲州三坂水面。ペンキで描かれているので、発色も美しい

 荒井湯の最大のウリはペンキ絵と言っても過言ではない。昭和40年代から銭湯絵師の中島盛夫さんに描いてもらっている。男湯は葛飾北斎の「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」、女湯では「甲州三坂水面」が楽しめる。ちなみに以前は東京スカイツリーが描かれていた。「外出することが困難な高齢者にスカイツリーを見せてあげたい」という店主の粋な計らいからだった。

宮大工が作るような正面入り口は、言問橋のそばにあった「たぬき湯」が元祖。その流れを荒井湯も汲(く)んでいる

 荒井湯が開く時間は午後3時10分である。もともとは3時半だった。「お年寄りは早く来るんだよ。特に夏はうんと早い。冬でも開く10分前ぐらいに来て、寒そうだから、俺なんかだと入ってもらっちゃう。人がいいからさ。でも、その10分がわりと貴重で忙しい時間になっちゃう。一時期2時半過ぎに開けたこともあったけど、お客さんと俺たちがお互いに納得できるギリギリの線が3時10分なんだよね」この時間は、客の人の営みを十分に考慮して決められた銭湯側の心遣いによるもの。地域に根ざした銭湯と客がお互いを尊重し繋がっているからこそ成立するルールなのだ。

 銭湯を中心とした地域コミュニティは令和の時代も息づいていた。

あらいゆ
東京都墨田区本所2-8-7
📞03・3622・0740
営業時間:午後3時10分~午前0時
定休日:水(第5水曜は営業)

文・今村博幸 撮影・柳田隆司

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