蓄音機が紡ぐ亡父と娘の絆

 しかし、そんな康一さんを重い病が襲う。病気が進行し体が動かなくなリ始めた時、それまで誰にも触らせなかった蓄音機の扱い方を、娘さんに伝えた。「自分の未来がそう長くないと知った時、蓄音機をかける人間がいなくなるのを寂しく思い、我慢できなかったんでしょう。だからそばにいた私に教えたんだと思います。ちょっとでも間違えると、大声で怒鳴られました。それだけ必死でした。扱い方にはコツがあります。ハンドルを手荒く回すとパッキと折れちゃう。針はそっとレコードに乗せないとすぐに傷がつきます。力の入れ方と回す数なんかを細かく教わりました。丁寧に扱わないと叱(しか)られちゃうから、汗びっしょりで覚えました」。懐かしむような表情で、娘さんが当時のことを語り始めた。父親が託したかったのは、他の誰でもなく娘だったに違いない。「今では、教わっておいてよかった、一生懸命やった甲斐(かい)があったって思ってます」。康一さんが天国へ旅立ったのは、5年前のことである。

ビクトローラのサウンドボックス。「父は2曲ぐらいで針を換えてましたが、私はもう少し使っちゃいます。父がいたら叱られますね」

 娘さんが蓄音機の蓋(ふた)を開けてレコードをターンテーブルに乗せ、サウンドボックスをそっとレコードの上に置いた。曲が始まるまで、針がレコード盤の溝を擦る音がバチバチと鳴る。SP盤の欠点でもあるが、今となってはそれが味なのだ。江利チエミが歌うテネシーワルツが流れる。時代を経てなお生き続ける音が心に沁(し)みる。「父が好きだった曲です」。回るレコード盤をじっと見つめる娘さん。「ターンテーブルの横にスピードが表示されるので、遅くなりだしたらまた手で巻きます。つきっきりじゃないといけない。今ちょっと遅くなったのでまた巻きます」。そう言って、7回ほどレバーを回した。「父も、お客さんと話しながらここに立ってました」。ボリュームコントロールは付いていない。正面スピーカー前の扉を開けたり閉めたりして音量を調節する。どこまでもアナログなのだ。曲は終わったがターンテーブルは回り続けていた。「本来は止まるまで待つのですが、父は消しゴムで止めてましたね」。娘さんは父親と同じように、消しゴムで回転を止めた。

店内には、松本民芸家具の椅子などが並び、康一さんのこだわりがうかがえる。普段静かに流れるBGMはクラシックだ

 実はこの蓄音機、ある日突然やってきた、と早苗さんがため息交じりに言う。「友達と2人で持ってきたんです。なんの前触れもなく。私は、またなんか始めたなと思いました。主人はそういう人でしたから」。店の真ん中にたたずむ大きな木製の箱をいとおしそうに見つめる。「ビクトローラっていうんだそうです。使われている木はマホガニー。主人がそう言っていました」。良くも悪くも一途だったと、早苗さんが微笑(ほほえ)む。「店が忙しいのに、蓄音機の脇に立ちっぱなしで、レコードをお客様に聞かせてね。お客様が『いいねー』なんて言ったら、1時間でも2時間でも(レコード)をかけてたの。お客さんも帰れなくなっちゃって」

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