伝説のトキワ荘を忠実に再現 昭和の遺産を後世に

 ミュージアム設立の原動力になったのは、地元の人たちの「熱い心」があったと熊谷さんは感慨深げだ。「地元の人たちは、『(トキワ荘の)記念館的なものを作りたい、できることならいつかは再現してほしい』という思いをずっと持ってくれていました。区長が99(平成11)年に署名を募ると4000筆も集まりました。これは、なんとしても再現しなくちゃいけない、と区としても力を入れました」 原稿はインクを乾かすため、畳の上にしばらく置かれていた=水野英子の部屋で

 住民の要望に応えたいと、記念館実現に向けて準備を進める。「その間も、地元の人たちは、区と協力して記念碑やモニュメントを作ったりとか、地道な活動をしてくださっていました」。2016(同28)年に再現が決まり、17(同29)年から足掛け3年かけて19(令和元)年の7月7日に整備計画を発表、20(令和2)年の7月7日にオープンした。「日にちに関しては、何となく、ちょっと運命みたいなものを感じますね」と熊谷さんは目を細めた。

昭和の家屋やアパートの窓に必ずついていたネジ絞り錠が再現されている

 トキワ荘は、戦後のマンガ史の原点でもある。キーパーソンは、やはり手塚治虫だった。「ストーリーマンガを手塚先生がはじめ、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄両先生や石森先生たちが受け継いできたからこそ、大きな文化として認知されるようになったと思います」。時代は、高度経済成長期。焼け野原から新しい商品や遊びがものすごい勢いで生まれていた時代である。文化も同じこと。暗い時代を抜け出し、解き放たれたようにあらゆるものが噴出していた。その一つがマンガ文化であり、発信地がトキワ荘だったのである。「これだけのビックネームが、一つの小さなアパートに集結した。ある意味、奇跡であり、必然でもあったと思います」

特別企画展に合わせて集められたマンガと、手前は、緻密に作られたアパートの模型。松葉の出前が訪れる様子も

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