伝説のトキワ荘を忠実に再現 昭和の遺産を後世に

トキワ荘マンガミュージアム(東京・南長崎)

retroism〜article116〜

 小さな2階建てアパート。トイレと台所は共同。当然のように風呂はナシ。そんな、質素な場所から、戦後にマンガの胎動が始まり大きな文化のうねりへと発展していく。トキワ荘をめぐるドラマは手塚治虫が住んでいた2階の14号室、階段を上がってすぐ左側の部屋から始まった。彼が住んだのは1953(昭和28)年の正月〜54(同29年)10月のわずか1年10カ月。手塚が入居した年の終わりに寺田ヒロオ(22号室)が引っ越してくる。寺田は約4年半過ごし、マンガ家たちの兄貴分的存在になり、彼の部屋に集まることが日常茶飯事となった。その後、藤子不二雄Ⓐ(14号室)と藤子・F・不二雄(14→15号室)の2人が手塚の引っ越した部屋を借りる。「どうだい、君たち、トキワ荘のぼくの部屋へ入らないか、敷金はそのままにしておくから」。彼らは即答した。「トキワ荘に入らせてください。よろしくお願いします」。当時こんな会話が交わされていたという。往年のおおらかさを思わせるエピソードだ。

よこたとくおの部屋には、赤塚不二夫と共同で買ったステレオが置かれている

 敷金なしで部屋を借りた藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の後、55(同30)年〜60(同35)年頃にかけて、次々とマンガ家が住むようになる。入居年が早い順に、ラーメン大好き小池さんのモデルになった鈴木伸一(20号室)、才能を鈴木伸一にも認められていた天才肌の森安なおやが翌年その部屋に同居、言わずと知れた石森章太郎(17号室)、赤塚不二夫(16号室)、トキワ荘の紅一点・水野英子(19号室)、「週刊マーガレット」に連載した「マーガレットちゃん」が人気を博したよこたとくお(20号室)らが、次々とトキワ荘の住人になった。今考えれば、ビックネームたちが暮らしていたトキワ荘は、まるで夢であり、奇跡のようでもあった。

トキワ荘の住人行きつけの店「松葉」は現在も近所にある。写真は当時使われていた本物のどんぶり

 そんなトキワ荘も、時間の流れには逆らえず、82(同57)年、老朽化によって解体されることになる。ちなみに、最後に住んでいたのは、挿絵画家の向さすけだった。当時の様子を、肌で感じることができるのが、東京都豊島区南長崎の南長崎花咲公園内にある「トキワ荘マンガミュージアム」である。当時と同じように再現されたものだが、称賛すべきは、そこに至る道のりが、聞き取りも含めた徹底的な調査が行われていることにある。100㌻を超える膨大な冊子「トキワ荘等に関する基礎調査」には、当時の図面やそれぞれのマンガ家が語ったエピソードなどの資料がびっしりと記されている。入り口から各部屋に至る間取りまで、緻密に再現できたのは努力のたまものだ。

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