文豪も愛した昭和を象徴する小さな西洋旅籠

 

山の上ホテル(東京・御茶ノ水)

retroism〜article114〜

 古(いにしえ)を疎かにしない思想をもち、1954(昭和29)年の創業以来、高き誇りを掲げ続ける。東京・お茶の水にある「山の上ホテル」はそんなホテルだ。建物の前に立っただけで伝わってくる圧倒的な存在感は、ロビーを通りレストラン、カフェ、そして客室に向かうごとに、心地良さとなって客に降り注ぐ。

手前のブルーに見えているガス灯が、ホテルエントランスでさりげなく存在感を主張する

 そもそも外観が個性的だ。「元々はホテルではなく、健康のための生活改善などを目指す社会活動を推進する拠点だった『佐藤新興生活館』という建物として誕生しています。戦後、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の陸軍夫人部隊の宿舎になった時の名前が、「ヒルトップハウス」。接収解除後にホテルとして生まれ変わり、それまでの呼び名にちなんで名前がつけられました」。経営企画室の峯松泰広さんが、ホテルマンらしい柔らかい物腰で説明する。「建物は、アール・デコ様式を取り入れたウイリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。彼は、関西学院大学の校舎など、日本でたくさんの西洋建築を手がけたアメリカ人(後に日本国籍取得)でした」

部屋の鍵は、いまだにスケルト
ンキー。何年ぶりに見ただろう

 アール・デコは、10年ごろからヨーロッパやアメリカを中心に始まり、25年(大正15)年に広まった。直線やコンパスで引いたような曲線、ギザギザなど幾何学模様をモチーフにした様式で、シンプルなのが特徴だ。シンプルだから、大量生産にも適している。その意匠の理念は、45(昭和20)年以降、高度経済成長を遂げた日本の姿にも重なる。そう考えると、山の上ホテルは、昭和という時代を象徴している建造物と言えるのかもしれない。

地下にあるワインバー。その名も「葡萄(ぶどう)酒
ぐら モンカーヴ」。ブドウをモチーフにしたステンド
グラスが、ワイン好きの気持ちをググッと盛り上げる

「当ホテルは、80(同55)年に一度、大改装をしています。その時アール・デコ装飾が若干失われました。例えばエントランスの天井部分なども変わってしまいました。時代背景にあわせて古いものとミックスさせ、山の上ホテルなりの昭和モダンというべき空間を作り上げたのです。それが、ホテルの魅力でもあったと思いますが、一昨年、あらためて改装工事を施し、ロビー周りを中心に多くの部分を元に戻しました」。40年かけて磨き上げられた昭和のホテルに、もともとあったアール・デコ様式をミックスして再構築したのである。

1980(昭和55)年の改装時から使われているホテルのロゴマーク。ホテル内の至る所で目にすることができる

 80(同55)年の改装時に、床には赤いじゅうたんが敷かれたが、その下に残っていた開業当時の古い意匠や建材と、設計を手がけたヴォーリズが創設した建築事務所が今も現存していたからこそできたと峯松さんは感慨深げにうなずく。「一昨年のリニューアルでは、その建築事務所の方々が、当時の設計理念に基づいて、見事な仕事をしてくださいました」。エントランスを含む天井はアール・デコに戻し、床は、近代建築以降、特に大正から昭和初期に普及していったテラゾーを敷いた。「階段もじゅうたんをはがすと、十文字模様のタイルが出てきました。文化財を修復する業者にお願いして、そのあたりを美しく復元しました」

こぢんまりと落ち着いたフレンチレストラン。創業間もない頃、シェフをヨーロッパに送り修業させるほど力を入れていた。天ぷらが有名だが、和洋中どれをとっても質が高い

 ロビーの奥にある、時代がかったベンチの上の壁には、ホテルになる前の佐藤新興生活館の写真とともに、当時の図面がさりげなく飾ってあるが、オリジナルの設計図が残っていたのも幸いした。これらの復元は、簡単ではなかったと峯松さんは振り返る。「作業をしてくださる職人さん自体が少なかったのですが、蘇らせたいという我々の思いをくんだヴォーリズ建築事務所を通じて施工会社の方々が業者さんを必死に探してくださいました」

ジュニアスイートの一室。この椅子に座りライティングデスクの上で、作家や宿泊者たちが書き物をしたのだろうとロマンをかき立てられる

 現在、ホテル内や客室を飾る調度品の多くは、80(同55)年当時のものが使われている。「創業者である吉田俊男や奥様の趣味が色濃く反映されています。もともと、個人経営の小さなホテルですからね」。ロビーに並ぶソファや近沢レース店に発注した品のいいレースが敷かれたローテーブルなども、同じ年に入れたものだ。「ノルウェーで多くのファンに支持されていたバットネ社のもので統一してます。横浜の家具の老舗『ダニエル』やACTUSの前身である「青山さろん」を通して購入した希少価値の高い年代物です。一部革を張り替えましたが、張り替えずに当時のままのものも何脚かあります。こちらの方が味があっていいと言うお客様もいらっしゃいますよ」。エントランスを入って右に進むと、それら年季の入ったソファが並ぶ。スペースの一角には、凝った作りのライティングビューローと椅子があり、壁には、池波正太郎が描いた小さな絵が飾られている。「池波先生は、このライティングビューローの椅子に座って、従業員などとよく談笑されていました」

エントランスを照らすシーリングライトの柔らかい光が客を迎える

 客室は、どれも個性的で楽しい。例えば、応接室と寝室があるジュニアスイートは、ベージュのじゅうたんに白塗りの壁、アーリーアメリカン調の家具が設(しつらえ)られている。ロッキングチェアがあるのも珍しい。「スタンダードの部屋も含めて、それぞれ違うタイプの特徴ある古いライティングデスクや鏡台、手作りの家具などが入っています。なかなか味があるでしょう」。峯松さんは自信を持って目を細めた。元々、外国人向けに作られているので、ドアの取っ手の位置がかなり高い。「のぞき穴」もブザーもない。「お客様に呼ばれた時やルームサービスを配膳する際には、『ドアをノック』するんです」。軽く握った手を前後に動かしながら峯松さんがそう言った。「華美ではありませんが、『寛げるしほっとする、落ち着く』って言っていただけます」。それは、信念を貫いて昭和を生き抜いてきたホテルにしかなし得ないことである。「3歩進めば、絵になるものに出合えるのも、当ホテルの自慢でもあります」と峯松さんはほほえんだ。

ロビーに隣接した9席だけの「止まり木」の入り口。作家たちが仕事の疲れを取るためにここに下りてきた。原稿待ちをする編集者たちも多かった

 もう一つ、嬉しい懐かしさを客に抱かせるのは、ホテルとしての姿勢である。「創業者である吉田が目指したのは、西洋ホテルの良さと、日本旅館のもてなしの心を併せ持つ『西洋旅籠(はたご)』でした。外観は洋風だけれども内容は、日本的な心でありたいと考えていたようです」。広告を文芸春秋や文学界、文芸などに出していたが、その文章の全てを吉田氏が手書きしていたと言う。そこにあるのは、経営者としての言葉とはとても思えない。「人としての思い」そのものである。以下はその文面である。

“ただありがたいと言ふ気持ちで/こころから「つくす」だけ/これを何十年と続けるうちに/こんなホテルになりました”。”丘の上のホテルは/昔のまんまの姿/変へないのが/いいと思っててゐます”。”何にも言わないけど/そばにいるだけで/心が和む/そんな人があるでせう/ホテルもそうなりたいなあ”

 確かに、ロビーに入った瞬間、そして部屋に入ってからも、全く感じないのは、「よそよそしさ」だ。漂う香りに無機質さを微塵も感じさせないのである。

エントランスを入ると正面にある上から下まで見渡せ
るらせん階段。海外の古い映画のワンシーンのようだ

 駿河台の丘の上なので、東京のど真ん中なのに、空気感は緑色、森の中にポンとあるようなこのホテルは、作家が多く集まるホテルとしても名をはせた。「その頃の作家たちは、世のクリエーターの最先端にいた人たちです。ここは彼らの感性が磨かれた場所であったのだろうと思います。そんな、『ここにしかないもの』を残したい思いがあります。特にこれからは、若いお客様にも来てもらって、クラシックという理由だけではなく、ホテル内外観を見て感じて、感性が磨かれる場所として、人に集まっていただければと願っています」

直線やジグザクの意匠が施された外観は、誰の印象にも強く残るアール・デコ様式

 人や家具の匂いがちゃんと残っている。文化の雫(しずく)のようなものが漂い、肌から染み込んでいく。思いを巡らせたり、ものを考えたりすれば、その思いや考えがどんどん深くなっていくと思わせるなんとも不思議なホテルでもある。

やまのうえほてる
東京都千代田区神田駿河台1-1
📞:03-3293-2311
文・今村博幸 撮影・JUN
 
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