100本目の記事リリースにあたって

失われしモノたちの挽歌

retroism〜article100〜

 

さらば愛しき街の自転車屋

 20年以上通っていた「高野輪業」という名の自転車屋が横浜にあった。パンクなどは必ずそこで修理をしてもらっていた。古い店舗は、決してきれいとは言えず、まさに昭和の自転車屋という風情で、むしろボロボロといったほうが適切かもしれない。しかし、時を経なければ絶対に出てこない趣があった。

  店の見た目は汚いが、チューブとセットになったタイヤやブレーキなどのパーツは、どれもピカピカだ。しかも、今の自転車と昔のとでは、微妙に寸法が変わっていて、その両方に対応できる在庫をきちんとそろえていた。パンク修理をする動きを見ただけでもわかるほどの卓越した技術、自転車の良し悪しを見る目も一流、そして話好き。それが店主・高野さんの特徴だった。15歳から自転車を扱ってきた本物のプロなのだ。

 齢(よわい)80を超えている高野さんは年がら年中仕事をしているといった印象で、休むのは年に一度の祭りのときだけ。実際に店の前を通るといつも仕事をしていたのを覚えている。地元の人のために、コツコツ自転車を売り(売り上げはわりと少ないと思われた)、熟練の技術でパンクを直している高野さんは、店先で背を丸め、いつも自転車に寄り添っていた。

 高野さんのような人こそ、街の誇りであると思う。実際に、「『おじさんじゃなきゃダメだ』と、遠方からわざわざ来る客も多いんだよ」と高野さんは得意げに話していた。その自慢話は、訪れるたびに何度も繰り返された。所在地は、横浜市南区(伊勢佐木町商店街のはずれ)だが、金沢八景などからわざわざ訪れる客も少なくないらしい。

 昨年の春頃、自転車がパンクしたので、しばらくぶりに店に行った時、高野さんの様子が少しおかしかった。冗舌なのは相変わらずだが、半年ぐらい前に転んで脚にけがをしたとかで、歩きづらそうにしてしていたのだ。しかも、いつもは一人でさっそうと修理に取り掛かるのだが、その日に限っては、奥さんが横について手伝っていた。「7月いっぱいで店を閉めるんだよ。俺は、まだまだ働けると思っているのに、子どもたちに泣いて頼まれちゃってね。まあ、カミさんに手伝ってもらわなきゃならないなんて情けないよ。年には勝てないねぇよな」と高野さんは笑ったが、輝きを失ってない目の奥に、少しだけ曇りのような影があったような気がした。

 私は、この店を、我々のウェブマガジンに載せるべきだとぼんやりと考えていた。一方で、このまま静かに失われゆくものをただ見守りたい気持ちもあった。記事にすることが、被災した人や犠牲なった人に対してぶしつけにカメラのレンズを向けるように感じたからだ。しかし今回、あえて書かせてもらうことにした。

 今、自転車屋があった場所は、こぢんまりとした新しい一軒家に変わった。悲しい気持ちには変わりない。

雑誌の涙と編集者のプライド

 レトロイズムは、長年「紙媒体」に関わってきた編集者とカメラマン、そして私の3人が中心となって製作されている。そんな我々にとって、ここ10年ほど(もう20年ぐらいか)続いていている雑誌の休刊(実質上の廃刊)に対して、無念の気持ちしかない。特にグラフ誌に関しては、衰退の一途をたどっていると言わざるを得ないだろう。新聞社系の「アサヒグラフ」や「毎日グラフ」といった老舗グラフ誌が消えて久しい。加えて決定的な事件だったのは、新潮社の「FOCUS」や平凡社「太陽」の休刊だったと思う。実質上の、「グラフ誌の終焉(しゅうえん)」を告げた出来事だった。そして昨年7月、歴史ある雑誌が一つ姿を消した。「アサヒカメラ」である。これまでも写真雑誌の休刊が相次いでいたが、「ついにアサヒカメラもか」というファンのため息が聞こえてくるようだ。

 雑誌の休刊については、時代の流れの中で不可避なのかもしれない。デジタル媒体で、見た目がきれいなだけの写真は、いくらでも見られる。最近のデジタルカメラの性能は、飛躍的と言っていいほどの進化を遂げ、フィルムカメラのような画像を作り出すことすら可能となった。しかしである。美しい写真は、紙に焼いたものを見たいという人は、まだまだ健在だと信じたい。

 アサヒカメラの休刊の原因が、雑誌が売れない「時代」という理由だけではないと、最終号を見た私は感じた。編集者の質の問題ではないかと思ったのだ。もっと言えば、雑誌のクオリティーが下がっているのではないかと。雑誌が売れないという出版社の嘆きは、買わない人が増えたのではなく、製作者側の質の低下に起因しているのではあるまいか。私がそう思わざるを得なかった原稿について、書かせてほしい。

 最終号では、大御所のカメラマンたちが「私とアサヒカメラ」というタイトルで手記を寄せていた。その中の一人に写真家・荒木経惟(アラーキー)がいた。文章の最後に(談)と書いてあるので聞き書きである。主語が「私」になっていたことにものすごい違和感を感じた。なぜなら、私が知る限り、アラーキーは自分のことを「私」とは言わないからだ。少なくとも聞いたことがない。耳にするのは「アタシ」である。念のため、You Tubeでアラーキーが話している動画を数十本見てみたが、ほぼ「アタシ」と言っていた(ごくまれに「俺」)。何よりも、アラーキーを知る読者にとって、不自然に感じるに違いない。この記事において、誰が話しているか(または誰が書いているか)というリアリティーは重要ではないと判断したのだろうか。むしろ雑誌にとって、一番大切なのは、そんなリアリティーであると私は思う。製作者(編集者)の意図は何だったのかぜひ知りたい。

 私は編集者のチェックが入ったのかも疑わしいと思っている。もし私が編集者だったら、「私」と表記したライターと話し合い、編集者権限で「アタシ」と間違いなく変える。仮にそこにチェックが入っていなかったとするならば、編集作業の怠慢、もしくは編集者が無知(カメラ雑誌の編集者が知らないとは思えないが)だ。好意的に解釈するのならば、「私とアサヒカメラ」というタイトルに合わせて、「アタシを私」と表記したのかもしれない。とはいえ、相手は個性あふれる鬼才アラーキーだ。故にここはあえて「アタシ」とすべきだったと言いたい。果たしてそんな無味乾燥な雑誌を人々は買うだろうか? 雑誌が売れなくなった根本の理由は、実はそんなところに起因しているのではないかと思った。編集現場で実際に何があったかを私は確認していない。にもかかわらず、ここまで断言するのは、大変失礼なことは百も承知だ。残念ながら、雑誌の「ありかた」や矜持(きょうじ)も、すでに失われてしまったものの一つと言えそうだ。

昭和の文化よ永遠に

 我々「レトロイズム」は、一昨年秋に始まり、今回記事が100本に達した。それを節目として、失われしモノについて書かせてもらおうと思った。例を二つ挙げたが、もちろん、ここ50〜60年ぐらいのスパンで見ても、輝かしき多くのモノや文化は、すでに失われてしまった。数え上げればきりがない。だからこそレトロイズムは、いまだに頑張って残しているものを取材し発信し後世に残していきたいと考えている。

 本物は、歴史が積み重なることで生まれる。歴史があればいいというものではないが、少なくとも、一つの店なり仕事なりを何十年も続けること自体が容易なことではないし、現場で残してきた人たちの、肉体と魂を削るような努力なくしては、長く続けられるものではないのだ。なくしてしまった時点で、積み上げてきたモノが全てがゼロに帰する。これまで数え切れない物事が絶滅し、跡形もなく消えた。しかし、可能ならば、今残っているモノがこの先も残ってほしいと願っている。そのために、今後も真剣に取材をし、写真を撮り、原稿を書いて、編集作業にまい進したいと肝に命じている。

 これからもレトロイズムをよろしくお願いいたします。

文・今村博幸

コメント

  1. 笠井光一 より:

    100回目ですか、あっという間な気がします。
    おめでとうございます。

    これからも楽しみにしています。

    • SHIN より:

      レトロイズム〜retroism visiting old, learn new〜をご愛読いただきありがとうございます。
      おかげさまで、100本になりました。さらに、200、300本目指して研さんを重ねていきたいと思います。
      これからもレトロイズムをよろしくお願いします。