「昭和の暮らし」から学ぶサステナブルな営み

 昭和30年代になると、電気やガスが普及してきて電気釜やガス台も登場した。「でも、お豆をたくさん煮たり、お米をたくさん炊く、大量に何かを蒸すなどという時には、竈が使われました。そのほうがおいしいし合理的だったからです」。それまであったものと新しく登場した利器を、上手に使い分けていたということになる。昭和はまだ貧しかった。ないものもたくさんあった。ならば工夫して作ればいいという考えが当たり前だったと小林さんが言う。「昭和は、頭と手を使っていた時代だと言われます。入浴剤は、みかんの皮を乾燥させたものを、障子張りの糊(のり)はご飯粒を使いました。そんな工夫を知ることで、生きる術を学んでほしい。それができるのが当館の特徴でもあります」

  木製の面格子が時代を感じさせる

 1999(平成11)年に開館した昭和のくらし博物館は、51(昭和26)年に建てられた公庫住宅である。実際に小泉さんが96(平成8)年まで住んでいた家屋を残したものだ。名前に関して、「くらし」とひらがなで表記するのにも意味があった。「研究者としての小泉は、多くの人に分かってもらえるような、なるべく平易な言葉を使うことを心がけていました。だから、書く文章もひらがなが多いんです」

 また、「博物館」にするか「資料館」にするかも吟味されたと言う。「最初は、博物館と名乗るほどの規模ではないので資料館にするつもりでした。実際に最初は資料館と書いていました。でもある水族館の館長さんのすすめで博物館にすることにしました」。結果的には正解だったと小林さんがうなずく。「博物館という言葉がもつ意味はとても広い。色々な要素が含まれていると思います。ただ資料を陳列するだけではなく、人が集ってさまざまな活動を行い交流が生まれたり、一緒に考えたりする場所でもあります。博物館が目指しているのが、まさにそこなのです」

急な階段から玄関を望む。上がり框(かまち)の下には下駄箱が設けられていた

 昭和のくらし博物館がもつ魅力の背景にあるのは、館長自らが歴史の研究者であり、主婦として生活者の視点があることだ。日々掃除をし食事を作るという、主婦の立場に根ざした学者から湧き出る思いが博物館のすみずみに息づいている。暮らしの中にあった行動や工夫があらゆる場面で巧みに結びついていて、それが来館者の深い理解へと繋がっていく。

「来ていただいた皆さんの声を聞くと、そんな私どもの意図をくんでいただいている実感はありますが、特に、感性が柔らかく素直な小学生たちは、邪念がなくてすっと入ってくる感じがします。工夫していた様子を説明すると、『じゃあ今よりすごくない?』と理解してくれる子も結構多いんですよ」

窓際には足踏み式のミシン。外からの光で手元も明るい

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