愛情たっぷり 昭和の洋食に舌鼓 驚きの価格設定も

フクノヤ(東京・巣鴨)

retroism〜article90〜

 巣鴨は平成初期までちょっとした歓楽街だった。洋食屋「フクノヤ」主人・小黒准司さんが、当時の様子を伝える。「以前は、うちの店がある一帯は、一般の人が歩く場所ではありませんでした。ピンクサロンのメッカで、数十件はありましたね」

歴史を感じざるを得ない外観で客を迎える店は、巣鴨の駅から数分の路地にたたずむ。手作りののれんが目印だ

 風俗街・巣鴨を目指して、全国から人が集まってきた。入店するのに数時間待ちはザラ。欲望をたぎらせた多くの男が、この街に集結していたのである。彼らの腹を満たすのが、フクノヤの役割だった。加えて、ピンサロの従業員の食事の提供場所でもあった。「店の社長さんたちから、『とにかく腹いっぱい食べさせてやってくれ』って言われてね。『代金はコッチで全部持つから』って」。金を渡すと、全てギャンブルに使ってしまう従業員を、社長が気遣ってのことだった。商売は風俗でも、そんなまっとうな人間関係がきちんと存在していた時代だったことがうかがえるエピソードだ。

 好きなものをいくらでも頼めたので、注文の仕方は豪快だった。「ステーキにエビフライとチキンカツを付けてーー。なんていう具合で、以前は価格設定も今よりも高かったので、数人で来て1万円前後なんてしょっちゅうでしたよ」。当時は、小黒さんの母・親美代子さんが女将(おかみ)として店を切り盛りをしていた。出前と店の客の注文を手際よくさばく、働き者の女将だった。彼女が店を始めたのは1964(昭和39)年。なぜ洋食屋だったのかは定かではない。

メニューの中に、サバ塩焼き定食があるのも、なんだかうれしい。洋食好きでも、時には焼き魚も食べたくなるのだから

「最初はミルクホールのような店でしたが、街の状況を見て、食べ物を出したほうが良いだろうという判断だったようです。近所には、ラーメン屋やとんかつ屋、すし屋などがあったので、かぶらないように洋食屋になったんだと思います。当時としては、ハイカラな新しいところを狙ったのかもしれません」 

肉がみっちり詰まった小ぶりのハン
バーグにエビフライ、ヒレカツがセ
ットになったA定食は750円。付け
合せのナポリタンもありがたい  

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