携帯のない時代が織りなすドラマに感慨ひとしお

 そんなわけだから、何回かかけて、ぞんざいな対応の父親ということが分かっているときには、彼女と連絡を取るのにも、名状しがたい緊張感があった。彼女の携帯に直接アクセスできる今は、基本的に(彼女に対してやましい気持ちがなければという意味だが)、緊張感はない。必ず(極まれに例外も)彼女が電話に出るからだ。

公衆電話という言葉すら死語かもしれない。ましてや、お金を投入しなければ話せない。今考えれば、非常に不便である

 待ち合わせも、携帯電話の登場によって様変わりした。かつては、時間と場所をきっちり決めなければ、どちらかがひどい迷惑を被ることになった。しかし今は、だいたいこのあたりと決めておき、最終的には携帯で連絡を取り合えば、なんの問題もなく会うことができる。

 約束したことに関して勘違いも存在する。携帯なら修正がきくが、昔はそうはいかなかった。家にいれば、固定電話で確認ができるが、外に出てしまったら絶望に近い。自分が思った場所に相手が来なければ、もうお手上げだ。最終手段として、公衆電話から相手の家に電話をして伝言してもらう。それすら、家に誰もいなければ、極めて厳しい状況となる。デート中止という事態も想定される。だから、待ち合わせの最初の時点で、細心の注意を払う。ただ、彼女に絶対に会いたいと思ったら、最大限の努力をするのは当然のことだ。時には、注意しながらメモをし、何度も確認をする。人同士の繋がりの正しいあり方だったと言っていいだろう。それすらせずに済ませられる携帯での待ち合わせや約束は、とても軽薄に思える。必死さがぜんぜん伝わってこない。

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