人生で必要なことは、すべて銭湯が教えてくれた

コラム其の捌(特別編)

retroism〜article72〜

「おかみさーん! 時間ですよー!」

 そんなセリフで始まるテレビドラマ「時間ですよ」は、子供にとってはかなり刺激的だった。いろいろな意味でワクワクする人情ドラマでもあった。

 主題歌である「東京下町あたり」は、銭湯とはなんぞやという問いに見事に答えた名曲である。「曲がりくねった露地に人のこころが流れ/忘れかけてたものを誰もが不意に想い出して行く♪」という出だしから、一昔前の風呂屋を含めた町の有りようが語られている。「なじみばかりの顔は胸の中までわかる/悩みあるならそっと耳打ちしてよ遠慮はしないで♪」

外と別世界(極楽浄土)とを区切るのれん。入り口には必ず「のれん」があり、銭湯を構成する粋なアイテムの一つだ

 銭湯には、人間同士の繋がりがあったし今でもそれは健在だ。仕事でうれしかったことから愚痴まで、番台のおばあちゃんやおじちゃんに聞いてもらえる人生の潤滑油のような存在でもある。体の汚れだけではない。生きることがつらいと感じてもたっぷりのお湯に浸かれば、奇麗さっぱりそれらを洗い流すことができたのだ。「東京下町あたり/雨の降る日も風の日も/人のこころは同じ/何もかも人間は生きている♪」。風呂好きと言う「同じ価値観」の中で、肩を並べて湯に浸かる。時には顔見知りのおじさんの背中を流すこともあった。少し熱めのお湯は、「生きている」幸せを、体の芯から湧き上がらせてくれた。

 子供の頃には、家に風呂があるにもかかわらず、友達と週に何回か銭湯へ行った。大人同様、子供にとっても社交場でもあったのだ。何人かの友達と連れ立って銭湯へ行き、体を洗い、学校のことなどを話しながら過ごす。洗いっこをするわけでもなかったが、まさに裸の付き合いが子供ながらにあったのだ。子供だから、服を着てようがいまいが、付き合いに大差はない。でも、なんとなく楽しかった。外で遊ぶのとは別の楽しさがあった。当時の自分を思えば、交流を深めようなどという気持ちは薄かったと思う。今になって思えば、ただの友達から、すこし深い関係になれたような気もする。

手ぶらで来た客のために用意されたシャンプーやせっけん、ひげそりは昔からあって今も健在だ

 どんなものからでも遊びを発明するのが、一昔前の子供たちだった。銭湯でも同じだ。一番楽しかったのは、うつ伏せで洗い場の床をスーッと滑る遊び(今ではそんなことをすると叱られる可能性大)。ぬれたタイルは滑りが良かったのだ。度が過ぎると、知らないおじさんに、頭とゴンとたたかれた。でもやっぱり楽しいので、おじさんがいなくなるのを待って、同じことを繰り返して遊んだ。湯船では、どちらが長く潜っていられるかの勝負や、人がいないときには泳ぐこともあった。これもやりすぎると、おじさんに怒鳴られた。タオルを空気を入れながら湯船に沈めて、友達のお尻の辺りでボコボコと泡を出し、「お前おならしたな!」などと言って笑いあった。どれも、今となっては多分アウトだし、そんなことをする大人も子供もいないだろう。当時から、タオルを湯船に沈めるのはご法度ではあった。

 風呂上りの楽しみは、なんと言ってもコーヒー牛乳の右に出るものはないだろう。乾いた喉に、にがみはないがコーヒーの香りの牛乳を飲むと、なんだか大人になった気がした。いちご牛乳は、子供のための飲み物で、男の子としては、コーヒー牛乳で大人の気分を味わいたかった。もう一つ定番の風景があった。硬く絞ったタオルで体を拭くのだが、半分以上の確率で、タオルを体にパンッ、パンッとたたきつけて体についた水分を拭くおじさん。子供ながらにまねしたかったが、うまくできなかった。大人になって、たまに銭湯に行くと、子供の頃できなかったパンッ、パンッ、パンッができたので、あれは大人の特権か? 実際にあれをやる子供は見た覚えがない。

湯ならではの傘入れは、今ほとんど見ることができなくなった

 現在、銭湯に行くことの意味あいは、昔とは少し違う。かつては銭湯に行くしか清潔を保つすべがなかった人は少なくなかったが、今ではほとんどの家に風呂がある。だから銭湯はレジャーランドの感覚だ。しかもかなりリーズナブルなレジャーだ。にもかかわらず、満足感は極めて高い。広々した湯船の中で、足を思いっきり伸ばして寛ぐのは、銭湯でなくてはできないぜいたくだ。さらに、多くの銭湯では、ビールも用意してあると聞く。汗を流した後のビールは最高だ。

 現代は、人と人が集うコミュニティが急速に消えつつある。極端な言い方をすれば、部屋の中に閉じこもって誰にも会うことなく、生活ができる世の中だ。食事をはじめ、何か必要なものがあれば、デリバリーで済ませられる。悩みは、友人や家族に相談することなく、Yahoo知恵袋にメールすれば、たくさんの人が答えをくれる。しかし銭湯には、その答えがすべて詰まっている。筆者は、速く走るためのコツを、知らないお兄さんから銭湯で教わったことがある。銭湯は、しつけも含めて学びの場所でもあったのだ。日本中から減りつつある銭湯は、なくなってはならない街のパーツの一つであることに疑う余地はない。

「時間ですよ」の主題歌からもうワンフレーズ。

「泣くも笑うもはだか/何もかも人間は生きている♪」

 歌詞が意味するところは限りなく深い。

文・今村博幸 撮影・柳田隆司、SHIN


※新型コロナウイルス感染拡大で、現在取材を自粛しております。当面、特別編や路地裏を歩くを配信する予定です。ご了承ください。

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