レトロ散歩 其ノ参

あとがき

   作家・田山花袋が1917(大正6年)年に出版した回想集「東京の三十年」の中で、神楽坂に言及している。「神楽坂の通り……依然として昔のまゝである」

 この田山の文章は、意味合いの違いこそあれ、そのまま現代にも当てはまる。「神楽坂は『かつて』を感じさせる街」なのだ。地名の由来に定説はないらしいが、字面も響きも美しい。明治から昭和初期に至るまで、山手随一の盛り場であり、山手七福神の一つである毘沙門天の門前町として商店、待合、遊郭が並んでいた。風情は路地裏でまだくっきりと香っている。

   神楽坂はフランスに似ていると言われる。共通点は石畳。大通りから細い路地に足を踏み入れると、雰囲気はガラリと変わる。高低差のある石畳の路地には踏みしめる楽しさがあり、歩みを先へ先へと導いてくれる魔力のような物が存在している。次々と目に飛び込んでくるのは、料亭の黒塀であり、地面に直接置かれた店の小さな看板であり、新しいけれど街に馴染(なじ)もうと一生懸命に頑張っているカフェなどだ。その魅力は、心を惹(ひ)きつけてやまない磁石のようである。

 四角い石を扇状に敷き詰めた文様の歴史は意外と浅い。戦後からである。芸者衆が出入るする花街に石を敷いたのは料亭の人たちだった。扇は歌舞伎や日本舞踊で艶やかさを表現するのに欠かせない品物。縁起がいい文様で、花柳界の発展を祈願したと言われている。

   かつて、映画監督の山本晋也さんに路地裏をテーマに話を聞いたことがある。そのときの彼の言葉が忘れられない。「路地裏には、他では見られない『傘かしげ』という所作が存在するんですよ」。 雨の降る日、細い路地を歩いている人とすれ違う。差している傘を斜めにしないとすれ違えない。この古くからある美しい所作は、神楽坂によく似合う。

 独自の空気感が深々(しんしん)と漂う街、神楽坂の路地裏をゆっくりと歩く。出会えるのは忘れていた懐かしい東京だ。

  文・今村博幸 撮影・SHIN

※新型コロナウイルス感染拡大で、対面取材を自粛しております。当面、特別編や路地裏を歩くを配信する予定です。ご了承ください。

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