路地裏を歩く其の参

神楽坂編(東京・新宿区)

retroism〜article66〜

不二家自体が、今の感覚では「懐かしい」洋菓子屋
でありレストランである。ここでしか買えない「ペ
コちゃん焼き」も販売。神楽坂下を入ってすぐだ 

坂を登ってしばらく行った左側の焼き物の店。外には懐かしいおもちゃや豚の蚊取り線香が並ぶ。話を聞こうとしたが、冷たくあしらわれた

焼き物の店の外に並ぶ、古いブリキの車。さび具合がいい感じ

石畳の路地を入った奥に、ひっそりとあった
理髪店。店は古いがサービスは満点に違いない

 路地裏に付き物なのが井戸。東京のど真ん中にも、いま
だに残っていること自体が感動的といっていいだろう

神楽坂の路地裏に最も似合う
人と言えば、「着物姿の女性」

名画座そのものが少なくなった今、頑張っているのが
「ギンレイホール」。2本立てで見られるのは昔ながら

石畳を踏みしめるだけで、時代を少しだけ遡れる気になれる

老舗の旅館「和可菜」は、古き良き日本のオーベルジュ。ここに泊まりうまい食事を堪能して2日に分けて神楽坂歩きを楽しむのもいい

神楽坂の路地裏には、若者の姿もちらほら。その魅力に絆(ほだ)されるのは年齢に関係なさそうだ

小料理屋「寿」。神楽坂で特徴的な石畳に直
に置かれた背の低い看板がなぜかうれしい

東京のまん真ん中にある毘沙門天に願う人たちの心境はいかに? 確かにご利益はありそうだ

神楽坂に住居を構える植田まさし氏が描くコボちゃんの
像。新型コロナウイルスの影響で、マスクをしている

年季の入ったベスパと神楽坂、どちらも古き良き昭和を思いださせる

生きていく上で必要なものは「想像力」だとうたうクラシコ書店。外観にも風情あり

の総鎮守「赤城神社」が、表通りから一本入った道に残っている

「ねこの郵便局というなまえのお店」は猫をモチーフ
にしたネコグッズ専門店。路地裏と言えば猫、猫と
言えば路地裏。この短いキャプション中に、「猫(ね
こ、ネコ)」が6回登場しているが、路地裏だ
から許
されるか?                   

      

赤城児童公園は通称「ぞうさん公園」。そのままの通称に心弾む

あとがき

   作家・田山花袋が1917(大正6年)年に出版した回想集「東京の三十年」の中で、神楽坂に言及している。「神楽坂の通り……依然として昔のまゝである」

 この田山の文章は、意味合いの違いこそあれ、そのまま現代にも当てはまる。「神楽坂は『かつて』を感じさせる街」なのだ。地名の由来に定説はないらしいが、字面も響きも美しい。明治から昭和初期に至るまで、山手随一の盛り場であり、山手七福神の一つである毘沙門天の門前町として商店、待合、遊郭が並んでいた。風情は路地裏でまだくっきりと香っている。

   神楽坂はフランスに似ていると言われる。共通点は石畳。大通りから細い路地に足を踏み入れると、雰囲気はガラリと変わる。高低差のある石畳の路地には踏みしめる楽しさがあり、歩みを先へ先へと導いてくれる魔力のような物が存在している。次々と目に飛び込んでくるのは、料亭の黒塀であり、地面に直接置かれた店の小さな看板であり、新しいけれど街に馴染(なじ)もうと一生懸命に頑張っているカフェなどだ。その魅力は、心を惹(ひ)きつけてやまない磁石のようである。

 四角い石を扇状に敷き詰めた文様の歴史は意外と浅い。戦後からである。芸者衆が出入るする花街に石を敷いたのは料亭の人たちだった。扇は歌舞伎や日本舞踊で艶やかさを表現するのに欠かせない品物。縁起がいい文様で、花柳界の発展を祈願したと言われている。

   かつて、映画監督の山本晋也さんに路地裏をテーマに話を聞いたことがある。そのときの彼の言葉が忘れられない。「路地裏には、他では見られない『傘かしげ』という所作が存在するんですよ」。 雨の降る日、細い路地を歩いている人とすれ違う。差している傘を斜めにしないとすれ違えない。この古くからある美しい所作は、神楽坂によく似合う。

 独自の空気感が深々(しんしん)と漂う街、神楽坂の路地裏をゆっくりと歩く。出会えるのは忘れていた懐かしい東京だ。

  文・今村博幸 撮影・SHIN

※新型コロナウイルス感染拡大で、対面取材を自粛しております。当面、特別編や路地裏を歩くを配信する予定です。ご了承ください。

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