見て 聞いて 触れて学ぶ地下鉄今昔物語

 しかし、なんとか工事は進み上野〜浅草間の地下鉄が開通する。その線路を最初に走ったのが、館内にも展示されている1000形と呼ばれた黄色い電車だ。「昭和2年から43年まで走っていました。そのあと保管されて、昭和61年に開館した当館に収蔵・展示されました」

 この車両は、実に画期的だった。「当時の日本で走っていたのとは全く別物でした。木製が主流だった当時、ほぼ車体全てを鋼鉄で作ったのです。地下で火災などが起こった場合に燃えないようにするためでした」。

吊(つ)り手はアメリカ製が使われた。鋼鉄製なので、電車が揺れた時、手が隣の人に接触するのを防ぐことができた

 さらに、自動列車停止装置(ATS)が初めて搭載されるなど、地下での事故を最小限に食い止めるために最新の技術が導入される。しかも、車内は間接照明というあか抜けた明かりで照らし、全てのドアが自動開閉できる仕組みも取り入れられた。つり革も工夫された。捕まってない時には、天井に向かって跳ね上がり、通路や車内全体を広く見せることができた。持ち手がホーロー製で清潔感も抜群だった。

「早川徳次の提案から人力で穴を掘ったことを思えば、感無量だったと思いますよ。何しろ、最新の技術が惜しげもなく装備されたのですから」。足立さんは、古い地下鉄(現在の銀座線)の車両を見つながらそう言った。

ドア脇の上部に付いていた非常灯。銀座線はホー
ムに入る直前に一瞬だけ電気が切れ、同時に非常
灯が点灯した。昭和60年ぐらいまで使われていた

 もう一つ、地下鉄といえば、夏の暑さを思い出す人もいるだろう。特に銀座線、丸ノ内線は最後まで車両冷房が導入されなかった。それにも実は理由があった。原因は、トンネルの幅の狭さと車両の小ささにあった。当時あった冷房設備を載せることはできず、薄型のものを開発しなければなかったからだ。最終的には開発され、全ての車両に冷房が入るようになった。実に、1996年7月のことだった。

改札ばさみを操るリズミカルな音は駅に欠かせなかった。自動改札の電子音とは違う、心浮き立つ音だ

 時代とともに失われてしまったものもある。地下鉄に限らず、電車や駅の風景は昭和とはガラリと変わった。対面で買う切符売り場もそのひとつ。ガラスで仕切られ、話がよく聞こえるように、丸くボツボツの穴があいていた。そこに並ぶ人の列も今では見られない。有人の改札ボックスも姿を消した。駅員さんが改札ばさみをリズミカルに鳴らす音は、必ず駅に響いていた。

 鉄道職員OBである足立さんが、はにかんだような表情で言う。「平成の初めごろまではまだ有人改札は残ってました。完全になくなったのは、平成19年でした。私も、10年ぐらいボックスに入って改札ばさみを操って切符を切ってましたよ。懐かしいですよね

レプリカだが、本当にあった張り紙。こういうことをする輩(やから)がいたことの証明である。言うまでもないが、絶対にダメ!

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