愛され続けて百十余年 亀の子束子よ永遠に

   「正左衛門の家の庭には返品の山ができたそうです。ある時、正左衛門の妻が、障子の張り替えで枠を洗おうと、返品された靴ふきマットの一部を、使っていたときです。それを見て『これだ!』とひらめきます。手に持って使うぶんにはダメになってしまうことはないだろうと考えたのです」

西尾正左衛門氏の写真とともに、たわしを作る道具が残っている

 こうして、たわしが世に出る。1907(明治40)年のことだった。しかし、当初の売れ行きは芳しいものではなかったという。「『栗のイガか』と聞いてくるお客様もいました。発明品なので、どうやって使えばいいのか誰もわからなかったからです。そこで小間物屋などでは20個ほどを針金に通し、その下に短冊を吊(つ)るして目立つようにしました。短冊がひらめくたびに客が足を止め『これは何?』と聞くので、店員が使い方を客に説明していきながら、徐々に浸透していきました」

 時代が明治から大正、そして昭和になると、亀の子束子は、台所の必需品となる。人気が出たのはその大きさによるところもあった。庄左衛門氏は、たわしの大きさを、妻の手を基準にして、女性でも扱いやすいサイズにしたのである。「それ以来、素材としてパームヤシが加わるなど、少しの変化はありましたが、基本的にはサイズや製法は今でもほとんど変わっておりません。最初から完成品だったんです」

発売当初に作られた、今でいうポップ。亀の子束子をこの短冊とともに針金でぶら下げて売っていた。風で揺れるたびに、客の注目をひいた

  亀の子束子のもつ能力は他のスポンジや洗剤などの追随を許さない。ずば抜けた洗浄力が備わっているのだ。例えば、木製のまな板を洗うときなどはとても有利。まな板は包丁によって傷がつく。たわしの繊維は、その傷の間まで入り、くまなく洗浄してくれる。風呂場の湯垢などは、洗剤などほんの少量、または無くてもいいぐらいでピカピカになるのだ。「鉄の鍋の焦げを落としたり、さらにはごぼうなどの泥落としにも使えます。皮を剥(は)ぐのにも便利。柔らかいシュロ素材の『棕櫚(しゅろ)たわし極〆(きわめ)』なら、かかとやひじなどの角質落としにも最適ですよ」。まさに、洗浄の万能選手。今の時代、強力な洗剤なども売られているが、亀の子束子さえあれば、洗剤はほんの申し訳程度にあればいい。

たわしシャンデリア? ショップの天井中央にに吊るされている。亀の子束子の種類は大きさの違いで、1号、3号、4号、チビッコと4種類ある

    「たわしの場合にはでこぼこしたもの、ザルとかおろしがねなどに対しては、特に威力を発揮します。繊維の一本一本がざるなら細かい穴に、おろし金なら細かい刃の隙間に入り込んで、汚れを掻(か)き出して清潔に保ちます。油汚れのついたお皿なども、最初にたわしで予洗いしたあとにスポンジで洗うと、水も洗剤も最小限で済みます」と石井さんは微笑んだ。

 ただ、たわしを備えている家庭は減っているのが現状だ。理由は、スポンジなどの新しい道具が発明され、その良さが埋もれてしまっているからに他ならない。「社会科見学で子供を招いた時、『おうちに亀の子束子あるの』と尋ねると、ないと言う児童や生徒が数人います。私どもとしては、おばあちゃんからお母さん、お母さんから娘さんや息子さんへと、伝えられるべき商品だと自負しております。頑張ってはいますが、その良さをうまく伝えられていない部分もあると思います。私どもの課題ですね」。確かに、核家族化が進んでいる現代の家庭では、受け継がれていくべきものが伝わらない。会社としては、子供たちに直接訴えるしかないのだ。「社会科見学では、たわしって『こんなに便利だよ、こういうふうに使えるよ』と伝えると同時に、たわし作り体験もしてもらっています。亀の子束子が家庭にない、というのは、本当にもったいないことだと思っているからです」

ショップでは、たわしをモチーフにした商品も販売。広報の石井さんが持っているのはたわしT-シャツ。着るのには少しの勇気がいる?

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