BAR FACTORY(横浜・曙町)
retroism〜article14〜
まるで、はすっぱな女のように悩ましい。でも、ひとたび音を奏で始めると、聴くものの一番気持ちいいところを、グイグイと攻めてくる。ジュークボックスは決して懐古趣味を満足させるものではなく、現役ばりばりの上質な音響機器である。
曲のラインアップから、笠井マスターの音楽の嗜好や人柄まで透けて見える
「湿度の問題だと思うんだけど、ものすごくいい音で鳴る時があるんだよ」。マスターの笠井光一さんはそう言った後、「まあ、音の聞こえ方は、酒の入り具合にもよるんだけどね」と笑って、たばこに火をつけた。
音はいいが不便もある。「演奏時間を設定するんだけど、それが微妙に難しい。あまり長すぎると機械に負担をかけちゃうから、適当なところでとめておく。でも、レコードによって、曲の長さはまちまちだから、設定時間になると、勝手に演奏が終わっちゃうんだよ」。最後までイカせてくれないのだ。「それに、曲をかける順番も、リクエストした順番にはかけてくれない。前にかけたレコードから一番近いところからかける。まったく自分勝手なヤツだよ」
当時の貴重なカタログ。左上に見えるのは、子供の頃、クリスマスに不二家でもらったソノシート。ペラペラなのでジュークボックスには入らない
普段のBGMは、PCオーディオによって流されている。客が席を離れてジュークボックスの前に立ち、自分の聞きたいレコードを探している間にBGMは止まり静寂が訪れる。「スッチャン」という百円玉が落ちる乾いた音。好きな楽曲またはレコードを探し当てた客は、前面に並んだ三角のボタンをアルファベットと数字の組み合わせで選び、「ガッチャン」と同時に押して選曲完了だ。カウンター席で、てんでに酒を飲んでいる客も、どんな曲が流れるのかと期待感を膨らませる。いざ曲が始まると、また安心したように、思い思いのおしゃべりが始まるのだ。
かつて集めたスロットマシーンなど、
アーケードゲームの一部も店に残る
笠井さんは、ジュークボックスと関わって二十余年たつ。スロットマシンやポーカーゲーム、アーケードゲーム的なものが好きで集めだし、次第にジュークボックスも欲しくなった。最初は、探すのにも苦労した。まずは扱ってるであろうところから探し始め、買っていくうちにツテができてネットワークが広がっていく。「こんなのあるよ」と言われて、興味が湧いたら見に行き、気に入ったら購入した。情報は人とのつながりによってのみもたらされた。インターネットがまだそれほど普及していない時代のことである。方法は一択だったし、それが当たり前のことだった。「先方は早く売りたいわけだから、こちらが有利。いちおう値段を聞いて、『いやー、そんな高くは出せないな』なんて言いながら交渉するんだよ、結構安く買えたのが多かったな」。そんなふうにして集めたものの一つが、今店に置いてある、ドイツ・ワーリッツァー社のジュークボックスだ。見た目はかなりシンプルだが、買った当時から物が良かった。ワンオーナーで、笠井さんが2人目だった。「結構いい値段で買ったと思うよ。なにしろ、品物が良かったからね。どこも故障してないし、真空管アンプの一番最後のモデル。もう少し経つとアンプがトランジスタになっちゃう最後のモデルだね」
ドイツのメーカー、ワーリッツアーの文字がくっきりと刻まれている。その下に並ぶ三角のボタンがセレクターだ
バーボンのロックを一口なめて、笠井さんがさらに続ける。「ちょうどモノラルからステレオに切り替わッた時期でもあってね。ウーファーが2発とその上部
にツイーターが付いた仕様になってる。真空管アンプにステレオサウンドっていう、古い時代と新しい時代のいいとこ取りみたいなモデルなんだ。しかも、ドイツの工場で作られた、メイド・イン・ジャーマニーってのがまた気に入ったね。金属パーツがドイツらしく質実剛健なんだよ」。製造は1962年。以前のオーナーが、発売から数年後に新品で買ったという。「新品を横浜港渡しで買ったって言ってたな。スキー場のロッジなんかに冬場だけリースしていたみたいだね」。家を建て替えるか倉庫を壊すかで、手放したいという話があって、実際に見に行って一発で決めたという。
昔のカタログと共に、設計図も残ってい
て、これさえあれば、いまだに修理可能
レコードのかけ方も普通とはちょっと違う独創的なシステムが採用されている。レコード自体が垂直に立ち上がった状態でグルグルと回って、横からハリが出るタイプだ。オリジナルの設計図も付属していたので、見る人が見れば、必ず
直せるのも魅力だった。外見は地味だが、十分にコレクター心がくすぐられたことは、想像に難くない。
買ってから、しばらく倉庫に置いておいたが、店に置くことになった時、業者にオーバーホールを頼んだ。ジュークボックスをいじれる業者は、関東でもそう多くない。最初は、業者が自分の会社に持ち帰り、手当てをしてくれて、納品されてしばらくは快調だったが、数年経つと不具合が出てきた。そこで、同じ業者に修理を依頼した。
電電公社の黒電話。使用不可だが懐かし
い。受話器の重さが当時を思い出させる
業者はおじいちゃんふたりで訪れた。キャリーバッグの上にさらに工具箱を乗せて電車で来たという。イカれていたのは主要なパーツで、普通は他のジュークボックスから移植する。しかしパーツは見つからず、彼らが自ら作って持ってき
てくれた。ところがだ。自分の会社でテストした時にはうまくいったが、店に来たらうまくいかない。彼らは完成までに、4回ほど通うことになった。3回目にきてもまだ直る気配はなかった。「さすがに、3回目に帰るときの後ろ姿は、いまだに目に焼き付いているよ。悲しそうだったなぁ」
ジュークボックスには、ロック、ブルース、横浜にちなんだ歌謡曲、あとは昔の名曲などが入っている。ラインアップは、あまり変えられないと笠井さんは言う。「最初にある程度決めちゃうと、この人が来ると絶対かける曲があるから、それは変えられないからね」。例えば常連の男性客のひとりが来ると、店のみんなにテキーラを振る舞う。その時にはチャンプスの「テキーラ」がかかって、みんなで一気飲みをするのが恒例だ。
BAR FACTORYの入り口は、最近のバーであまり見かけない自動ドア。開け閉め時は多少うるさめ
中年の男性客が、ジュークボックスの前に立つと、ザ・タイガースの「花の首飾り」がかかった。曲を聞きながら、かつてマスターがある女の子に言った言葉を思い出した。初めて店に来たその女の子は、VネックのT−シャツを着ていた。
マスターは女の子の少し寂しそうな首元に視線を落として言った。「そこに首飾りをかけるのは誰だろうね」
あれから7年の月日が流れた今、女の子は成長して大人の女になり、Vネックの首元にはきれいな首飾りがかけられ、まばゆい光を放っているかもしれない。
ばーふぁくとりー
横浜市中区曙町2-29
📞045・252・7715
営業時間:午後7時~午前1時
定休日:月
文・今村博幸 撮影・柳田隆司