世界よ、これが日本のカメラだ!

 学術的にも貴重な資料となりうるカメラを所蔵している「日本カメラ博物館」は、懐かしさに浸れる場所でもある。実際に、先述のエコー8も展示されていて、実物を見られるのだ。「カメラ史の中で重要と思われるもの、日本や世界で『初めての機構を取り入れた』といったものを中心に収蔵・展示しています」。学芸員の石王咲子さんがなごやかに話す。日本におけるカメラの歩みがよく整理されている上に、分かりやすく的確に説明されている。量も質もさすがと唸(うな)る充実ぶりだ。

カメラをモチーフにしたおもちゃの数々。中には、実際に写せるものも。手に取ると、子供ながらに、大人になった気にさせてくれた

「日本でカメラが一般に普及したのは戦後です。そして、誰もが手にするきっかけになったのが、初心者向けのうたい文句で発売された『フジペット』でした。発売されたのは1957(昭和32)年。値段はぐっと抑えられていました」。カメラの相場が3万円程度だった時代に、フジペットは1950円。まさに破格だ。大卒初任給が1万数千円だった当時としては、安い買い物ではないにしろ、手が届く商品ではあった。この機種はかなり売れた。来場者の中にも「これ、私使ってた!」という人が少なからずいると石王さんも言う。ただ一説によると、シャッター速度が調節できず、被写体の光量に合わせて絞りを調整する能力が必要とされた。現代のカメラとはだいぶ勝手が違う。しかしその分、いかにも機械仕掛けの道具という見た目が、マニア以外にも受けた。

堆錦ついきん)カメラと呼ばれる日本最古の国産カメラだ。作られたのは幕末期。表面には漆が塗られ型で模様がつけられている

 61年に発売された、「キヤノネット」もカメラの大衆化に寄与したカメラだ。フォーカルプレーンシャッターを搭載したレンジファインダーであるライカの独壇場だった当時、それから派生する形で作られた。この手の高級機は、2万円を切るのは不可能と言われていたが、1万8800円で発売したのだ。しかも、絞りとシャッター速度をカメラが決めてくれる自動露出計を搭載し、白飛びや真っ黒といった失敗も大幅に減った。「そのあたりから、日本が、技術力の確かさや使いやすさで、ドイツに追いついてきます。大きかったのは値段でしょうね。いくら高性能でも高くては、プロは別にして、一般には普及しませんから、メーカーも大きくなれません。64年ごろには、世界最高の生産国であったドイツを生産数で追い越します」

「フジペット」は、カメラが初めて庶民の手に落ちた、象徴的な一台。キャラクターに登用されたのは、子供時代の松島トモ子さんだった

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