世界よ、これが日本のカメラだ!

日本カメラ博物館(東京・一番町)

retroism〜article8〜

 映画の中の小道具として登場するカメラが、心に刻まれることがある。例えば、「ローマの休日」。オードリーヘプバーンふんするアン王女が、たばこを吸うのを隠し撮りされるシーンだ。この写真が物語の重要な部分に絡んでくるので、覚えている方も多だろう。使われたのは、ライター型スパイ用カメラ「エコー8」。鈴木光学が製作した日本製だった。

日本におけるカメラの黎明期を飾った名機がずらりと並ぶ。展示は年代ごとになっているので、見やすくてかりやすい

 今や写真を撮る行為は、ごくごく日常の中に組み込まれた感がある。「写メ」という言葉が一般的に使われ、スマートフォンを持っている人は、必然的にカメラを持ち歩いていることになるからだ。しかし一昔前は違った。基本的にカメラ本体に興味のある人は一部で、それ以外の人は無縁だった。写真に関して言えば、70年代より前に生まれた人ならば、必ず白黒写真を貼ったアルバムが家にあったし、「懐かしい写真」は必ず残っているものである。カメラも一度ぐらいは所有したことがあるはずだ。

当時のキヤノンのカメラ。当時は、ライカが手本だった。作りもライカに酷似している

 学術的にも貴重な資料となりうるカメラを所蔵している「日本カメラ博物館」は、懐かしさに浸れる場所でもある。実際に、先述のエコー8も展示されていて、実物を見られるのだ。「カメラ史の中で重要と思われるもの、日本や世界で『初めての機構を取り入れた』といったものを中心に収蔵・展示しています」。学芸員の石王咲子さんがなごやかに話す。日本におけるカメラの歩みがよく整理されている上に、分かりやすく的確に説明されている。量も質もさすがと唸(うな)る充実ぶりだ。

カメラをモチーフにしたおもちゃの数々。中には、実際に写せるものも。手に取ると、子供ながらに、大人になった気にさせてくれた

「日本でカメラが一般に普及したのは戦後です。そして、誰もが手にするきっかけになったのが、初心者向けのうたい文句で発売された『フジペット』でした。発売されたのは1957(昭和32)年。値段はぐっと抑えられていました」。カメラの相場が3万円程度だった時代に、フジペットは1950円。まさに破格だ。大卒初任給が1万数千円だった当時としては、安い買い物ではないにしろ、手が届く商品ではあった。この機種はかなり売れた。来場者の中にも「これ、私使ってた!」という人が少なからずいると石王さんも言う。ただ一説によると、シャッター速度が調節できず、被写体の光量に合わせて絞りを調整する能力が必要とされた。現代のカメラとはだいぶ勝手が違う。しかしその分、いかにも機械仕掛けの道具という見た目が、マニア以外にも受けた。

堆錦ついきん)カメラと呼ばれる日本最古の国産カメラだ。作られたのは幕末期。表面には漆が塗られ型で模様がつけられている

 61年に発売された、「キヤノネット」もカメラの大衆化に寄与したカメラだ。フォーカルプレーンシャッターを搭載したレンジファインダーであるライカの独壇場だった当時、それから派生する形で作られた。この手の高級機は、2万円を切るのは不可能と言われていたが、1万8800円で発売したのだ。しかも、絞りとシャッター速度をカメラが決めてくれる自動露出計を搭載し、白飛びや真っ黒といった失敗も大幅に減った。「そのあたりから、日本が、技術力の確かさや使いやすさで、ドイツに追いついてきます。大きかったのは値段でしょうね。いくら高性能でも高くては、プロは別にして、一般には普及しませんから、メーカーも大きくなれません。64年ごろには、世界最高の生産国であったドイツを生産数で追い越します」

「フジペット」は、カメラが初めて庶民の手に落ちた、象徴的な一台。キャラクターに登用されたのは、子供時代の松島トモ子さんだった

   さらに時代は流れ1975年、誰でもきれいに明るい写真が撮れるカメラが登場する。コニカ(小西六写真工業)が発売した、日本初のストロボ内蔵「ピッカリコニカ」だ。若かりし頃の井上順さんの「ストロボ屋さん、ゴメンナさい」のセリフが耳に残る。「フラッシュも、かつてはマグネシウムの粉を皿に乗せて爆発させていた時代があります。1枚取るごとに粉をセットした。けっこう危険だったと思います」。それがワンタッチで、フラッシュをが光り、しかも何度もでも使えるという、今でこそ当たり前の技術だが、当時は画期的だった。「日本で初めての機構は、世界で初めてと言っていいぐらい日本のカメラが世界中に広がっていった時代でした」

歴代の「写ルンです」が並ぶ。誰もが写真を撮る時代が本格的に到来する。今の写メの原点がここにあると言ってもいいだろう

 そして86年、レンズ付きフィルム、いわゆる「写ルンです」が富士フイルムから発売され大ヒットする。サブカルチャーにもカメラが入り込んできたのだ。その人気ぶりはすさまじかった。当時、どこの観光地でも、厚紙パッケージのカメラを持った人たちが闊歩(かっぽ)する姿が見られ、売店では、レジの横や飲み物の入った冷蔵庫の上に「写ルンです」がぶら下げられていた。

 やがてカメラはデジタルの新時代へと移行する。誤解を恐れずにいうと、「今、フィルムカメラは滅亡の危機を迎えている」のである。だからこそ、フィルムを使ったカメラを見直したい。そして、アナログの艶(つや)っぽさを改めて感じてほしいと願う。石王さんは言う。「日本のカメラは海外の製品の模倣から始めてトップになった。その流れを知ってほしいと思います。詳しく見れば見るほど、多くのドラマが隠れているからです。また、小学生を含めて若い人には、ぜひとも本物を見ていただきたい。見方は、可愛いとか格好いいとか、単純なところからでいいと思います。じかに見てもらって感じてもらいたい。カメラできれいな写真を撮ったり、カメラが欲しいと思ってもらえる第一歩になれれば、博物館としてもうれしい限りです」

大正時代の古い写真館にあった道具たち。奥に見えているのは、移動式の暗室

 最後に石王さんはこう締めくくった。「本来、カメラは歯車などで作られたメカニックな機械です。そのメカが精密に動いて、写真という形あるものを残します。からくりの究極の形と言ってもいい。しかも機能美まで備わっているのがカメラの魅力だと私は思っています」

日本におけるカメラの最初から最先端まで、カメラの歴史をくまなく見て回れる。自分にとっての懐かしいカメラを探すのも楽しい

 比較的こぢんまりとして見学もしやすく、カメラの歴史や仕組みを学べる博物館。展示されている名機や珍品は郷愁を誘う。同時に垣間見えるのは、日本人の英知と技術、そして誇りである。

にほんかめらはくぶつかん
東京都千代田区一番町25 JCIIビル
📞03・3263・7111
営業時間:午前10時~午後5時
定休日:月曜日
https://www.jcii-cameramuseum.jp/

文・今村博幸 撮影・柳田隆司

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